情炎の焔~危険な戦国軍師~
その後、家康は秀秋達に佐和山城を攻めさせた。


佐和山城にはおよそ2800人しかいなかったが、彼らは奮戦した。


しかし裏切り者が出たことにより、戦況は悪化。


三成の父である正継、兄である正澄、正妻である皎月院(こうげついん)は皆ここで命を落としたという。


運命を悟って皎月院を刺した家臣、土田桃雲も天守に火を放ち、自害。


怒れる龍のごとく城内の人間に迫り来る炎は、まるで命を落とした石田家の人々の無念と怨念を表しているかのようだった。


炎に逃げ惑った侍女達は、雨あられのように次々に崖から飛び降りて海に身を投げたという。


こうして慶長5年9月18日。


佐和山城は落城。


その後、地元の人々に慕われていた三成の印象を払拭すべく徳川家の家臣、井伊氏は彦根城を建て、佐和山城を廃城とした。


その佐和山城は徹底的に破壊され、現在では城跡が残っているだけである。
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