く ち び る
突然後ろから声をかけられた。
「――!」
変な声をこらえたのに、近くにあった机へぶつかった。それも盛大に。
唐突な痛みと衝撃で、持っていたリップグロスが床に転がってく。
手を伸ばしたけれど、別の手がリップグロスを取り、わたしに差し出した。
「ははっ、すっごい音したね。大丈夫?」
「……七草くん」
「うん?」
地毛なんじゃないかと思うほど綺麗に染まった金糸の髪をサラサラと揺らし、にこにこ人当たりのよさそうな笑顔の彼は七草皇。
――りり子の恋人で、わたしと浮気関係にある人。
よりにもよって彼に見つかるなんて……今日は会わない日なのに。
「あ、りがとう」
ギクシャクとしながらもリップグロスを受け取ろうと手を伸ばしたら掴まれ、あっという間に壁と彼に挟まれてしまった。
「どいて」
「えぇ? どーしようかなあ」
彼は人当たりがいいが恐ろしく気まぐれだ。
不意に近くなったり、かと思えば遠退いていく、さざ波のような人。
あの日から今日までの間に痛いほど身に染みてる。
「どきなさいよ」
だからもうこれ以上、彼に振り回されたくなくて離れたくて強く言えば、クスリと小さな笑い声をもらした。
「昨日さ、彼女とデートしてて見つけたんだ、コレ。一目惚れってやつかな? つい買っちゃったんだよね」
「ふうん」
ズキズキと胸が痛みを訴える。
悔しさを顔に出さないよう、彼を見上げた。
「りり子が自慢してたわ。似合いそうだからって」
笑顔に、深みが増した。
「うん、とても似合うとおもった」
「……」
「君に」
そう言うや否や、腰に手を回されグッと近くなった顔に戸惑っていると、彼は持っていたリップグロスをわたしの唇へと塗った。
「うん。ほんと、よく似合う。さすが僕」
ドキドキなんてしてない。して、ない。
嬉しくなんかない。
キッと彼を睨めば「こわいなー。美人が台無し」なんて、さして恐くなさげに肩をすくめられて腹がたった。
いよいよわたしは手に爪をきつく立てる。
「ね、このリップグロスのキャッチコピーってさ」
……ほら、そうやって思わせぶりな甘い毒の台詞を吐いちゃって。
「どんな激しいキスでも崩れない、だって」
キスしてグサリ。
わたしの心臓にナイフを突き立てる。