く ち び る
あの後のことはよく覚えてない。
気がついたら校門をくぐり抜けていた。
ちゃんと鞄を持っていることには少し安心したけれど、胸の中の黒いものが消えない。
ぼんやりと帰路を歩いていると、ぽたり、頬に何かが落ちた。
ほどなくして、降り注がれていく雨。
「……あ、」
しかも、あの時と同じ茜色の夕立ち。
また、涙が出てきた。
「……っ、う」
声も我慢できなくて、大声で泣きじゃくった。
馬鹿みたいに。
子供みたいに。
雨が全部ごまかしてくれる。
そう思わなきゃやってられない。歩けない。
だってわたしは、気まぐれで人の心を散々かき乱してはぐちゃぐちゃにする七草くんが、こんなにも――
「……のばら、ちゃん?」
どうしてこんな時に…!
わたしは苛立った。
顔を見られたくなくて、合わせたくもなくて、足早に七草くんの横を過ぎようとすれば、簡単に掴まれる。
そっぽを向いて腕に力を入れてみたけど意味がない。
しかも彼は腕を掴んだまま何も言わない。
また苛々がつのる。
「見てわからない? わたし急いでるの。雨に濡れたから早く帰りたいの。手を離してよ」
彼を突き放すようにまくし立てた。
そうしてないと都合よく考えてしまう。
もしかして、と。
「やだって言ったら?」
「……離しなさいよ」
「ねえ。雨に濡れて気持ち悪いなら僕の家近いし、来る…?」
やだとか子供みたいなことを言ったと思えば、次は子供をなだめるような優しげな口調で諭される……それで簡単についてくるわけ、ないじゃない。
でも嬉しい、なんて考えちゃう自分が馬鹿みたい。
「のばらちゃん?」
大人しくなったわたしに気をよくしたのか、顔を覗き込もうとした彼から甘い香りがした。
りり子お気にりの香水だ。
しかも、無防備にさらした首筋にくっきり残る、赤。
ひんやりとした手は変わらなくて、愛しいはずなのに。
さっきまでりり子に触れた手がひどく汚く感じて、気持ち悪くて……こわくて、
「――離してよ!」
「――!」
勢いよく振り払い、爪が彼の頬をかすった。
「っ……」
血が少し垂れ、すぐ雨に流される。
彼がわたしと視線を合わせた。
底冷えするほど冷たく、鋭い目。
「……あ、あ」
わたしは逃げた。
彼に好きだといわれた背を向けて。