く ち び る
教室に鞄を取りに行くと、一つだけ、人影の見える机があった。僕の斜め後ろの、遠山の席。組んだ両腕の上に俯せて、顔をこちらとは反対側に向けている。表情は見えないけれど、それが逆に、僕の鼓動を高鳴らせた。
どんな寝顔をしているんだろう。もしかして、起きてたりして。膨らんでいく想像を押さえ付け、意を決して、彼女の左側に回った。
「……っ」
――“言葉を失う”ということを、初めて体験した。瞼を縁取る睫毛の影に、薄く開いた艶やかな唇に、視線が釘付けになる。
息が、止まるかと思った。いや、止めてしまっていた。そして、無意識の内にしゃがみ込んで、甘く光る赤に手を伸ばしていた。
――柔らかくて、温かくて。掻き上げた君の前髪の香りにも酔いそうで、夢中で触れていた。自分のものとは、まるで違う。犯すように、汚すように、息のかかる距離で味わった唇は、酷く甘美だった。君が眠ったままなのを良いことに、何度も、何度もキスをした。
「ん……だ、れ……?」
溶けた砂糖のような、寝起きの甘ったるい声。僕の中に生まれた熱を煽るように、君がゆっくりと目を開ける。そうしたら、黒蝶真珠の瞳が姿を現した。
「……あぁ、ごめん。起こしちゃった?」
ドキリとさせたくて、発した一言だったのに。彼女の言葉で僕は、女の子の恐ろしさといやらしさを、同時に知るのだった。
「ううん……日見山君のこと、ずっと待ち伏せしてたから。」
fin.