く ち び る

崎口陽人(サキグチ アキト)。
彼の名前も、私は呼ぶことができない。

現状を変えることが怖いから。

私はずっと何も変えることができずにいる。


だけど何も変化がなくたって、その名を呼んだだけで彼は微笑むから。

「イチさん…」

掠れた甘い声で、私を呼んでくれるから。


何も変えなくたっていいんじゃないかと、思ってしまう。

出会ったのは最悪のタイミングだった。

私もサキくんも、初対面の時はお互いにひどい顔をしていた。


私は彼氏に振られたばかりで真っ赤に腫れた目を、

彼は彼女に振られたばかりで白くなるほど唇を噛みしめていた。

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