最初から、僕の手中に君はいる
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都合が悪ければ電車でもいい……、その意味をどうとらえるべきか分からなかったが、とにかく、上司が車で送っていってやるというのに、わざわざ断ることもないだろうと、その時は単純にそう思い、ロッカーへ荷物を取りに行き、そのままビルの表へ降りた。
既にそこには一台のスカイラインが停車しており、畑山の車がスカイラインだったということを今初めて知る。
近くまで寄り、サイドウインドを小さくノックする。
すぐにこちらに気付いた畑山は、一度運転席から降りてこちら側に歩いて来たのでどうしたのだろうと、不思議に思った。
「電車で帰るかなと思ったよ」
笑って言いながら、まさかドアを開けてくれる。
「えっ、あっ、あの、すみません」
なんとか返事だけして中へ乗り込む。
畑山部長ってこんな人だったっけ!? 疑問と疑惑と混乱で、頭の中はごちゃごちゃだったが、とにかくシートベルトはしっかりと締めて、発車するのを待った。
「食事してから帰ろうか、お腹すいたし」
えっ、そういう方向!? 驚いて、その澄ました横顔を見た。
「今日は僕の驕りだよ、残業お疲れ様」
そう言われれば、そうか、上司がそう言うなら、部下は返事をするしかない気がする。
「……すみません……」
「何が食べたい? 何でもいいなら、少し飲もうかな。帰りは代車にして」
この前の送別会の時、この人そんなに飲んでたかなあ……。
「藤沢さんは、飲む?」
グッドタイミングかどうなのか、信号待ちで停車したため、畑山はこちらを向いてしっかり聞いてきた。
「えっ、えっ、いえっ……」
「少しくらいなら大丈夫かな。この前それほど飲んでないのに、結構酔ってたからね」
そう言われて、色々なことを一気に思い出した。
「あっ、す、すみません……」
「いーのいーの、永井君のためにクッキー焼いて来た時は、何でと思ったけど」
あ゛―、やっぱり内心思ってたんだ……。
「す、すみません……そういうわけではなかったんですけど、な、流れで……」
「永井君頭いいからね。空気読めないふりして、すぐ人の心つかむから」
へー、永井ってそういう人だったんだ……。
「そうだったんですね」
「うん、そうだよー。藤沢さんの気持ちが、動きかけてるみたいにね」
って、それは、一体、どういう……。
「ね?」
畑山は再度確認するように、こちらを向いて笑顔で聞いた。
「……」
だが、何とも答えることができない。そもそも、質問の意味もよく分からなかった。
「さ、着いたよ。ここ」
うわ、また、しかも、わりと高めのお店だ……。
グラスという名のフーズバーは私も一度だけ来たことはあるが、雰囲気もいいし味もいいのだが、その分値段が高く、一般人は特別な日でなければ来られないような場所であった。
そこに、いとも簡単に、部下を連れて仕事帰りに食事をしようという畑山のセンスの良さを初めて知った瞬間であった。
「ありがとうございます」
言いながら、シートベルトを外す。
「いいよ、待って。ドア開けるから」
しかも、この上ない親切丁寧な対応。いや、さっきの会社のことを思い出すと、ただの部下への態度ではないことは一応承知だったが、これほどまでの気持ちの良い対応を断る、という選択肢も今は特になかった。
「ありがとうございます」
ドアを開けてもらい、外に出ようとする。
「地面濡れてるから、気を付けて」
まさか、手まで差し伸べてくれるこの様。
赤面するのが自分でも分かったが、その手を無下にすることもできず、しっかりとその手につかまって、車から降りた。
あまりの展開の速さに、ここにいる自分が信じられなくなる。
慣れている様子の畑山は、店のドアを開け、先に中に入った。
「予約していた畑山ですが……」
って、え!? もう予約してた!? い、いつの間に……。
店員に案内され、端のテーブル席に腰を下ろすことになる。深く大きなソファのすわり心地が良かったことを思い出しながらも、私は4つあるソファの奥に腰かけた。当然対面するように腰かけてくると思っていた畑山は、驚いたことに、左隣に腰を下ろした。
横……なの?
「畑山様、本日はご来店ありがとうございます」
上客の証だろう、店員とは違うスーツの男性が笑顔でわざわざ挨拶に回ってきてくれた。
「はは、まあまあ」
畑山は、少し照れるように顔を緩ませた。
「今日は部下とね、仕事帰りに食事を、と思って」
「そうですか! これはどうも、こんばんは。オーナーの吉住です。畑山先輩とは大学が同じで今もお世話になっています」
思いもしなかった挨拶を受けて、戸惑いながらも、
、「あっ、こんばんは。藤沢です!」
どうにか名前だけ告げた。
「先輩がこの前教えてくれたバーベキューセット、あれ良かったですよ。取り寄せるのにしばらくかかりましたけど」
「ああ、あれね、仲村(なかむら)が言ってたのをたまたま思い出しただけだったんだけど」
「ちょっと値は張りますけど、買って良かったって、僕以上に真紀(まき)が喜んでます」
気になって、オーナーの手を見た。なるほど、結婚指輪がはめられている。
「来週でも良かったら来て下さい。熱海の方に」
「熱海ねえ……ちょっと遠いからなあ」
「まあまあ、そう言わず、息子も喜びます。
藤沢さんも良かったらご一緒に。来週熱海でバーベキューしますので、是非いらしてください。もちろん先輩が運転しますから」
スーツのオーナーはにっこり笑って言ってくれるが、
「えっ、ええっ……」
うんとも、すんとも言い難い、妙な返事になってしまい、畑山をただ、見つめた。
「えっ、行きたい?」
こちらの視線に気付いた畑山は、逆に驚いたように見つめてくる。
「えっ、いっいえっ……」
「遠慮なさらなくても、来ていただけるだけでこちらは助かります」
「子守りね」
畑山は、苦笑しながら言った。
「いえいえ、そんな先輩の手を煩わせるつもりはないんですが、子供たちは先輩にとてもなついていますから」
子供相手に!? へー……いや、全然想像つかない……。
「じゃあまた、連絡しますから」
「ああ、分かったよ」
畑山は後輩が去ると、すぐにメニューを広げた。
「行く? 熱海」
社交辞令じゃなかったのか!? と思ったが、行かないとも言い難い。
「私は……別に大丈夫です」
「来週の土曜とか言ってたかな。じゃあ朝家まで迎えに行くよ」
ど、どうしよう……。いきなり遠出のデートに近くない? これ……。
「いえ、あの、近くまで行きます……」
「いいよ。そんな遠くないし」
畑山はさらりと言い、次にウエイターを呼ぶと、料理を注文し始めた。私の分も適当に頼んでくれるようである。
「あの、すみません、なんだか、突然参加するようなことになってしまって……」
しかも、オーナーとは初対面なのに、突然家族のバーベキューに参加するなんて、図々しいのではないか、という不安が過り始めた。
「大丈夫、子供が4人いるから、人手が多い方がいいんだよ。ちょっとうるさいかもしれないけど」
畑山はこちらを優しくみつめて言った。
「4人もいらっしゃるんですか!」
声は張り上げたが、目線は完全にずらした。
「うん、奥さんも気さくだし、全然敬語も使わないし、実家の母親みたいだよ。
『なんでピーマン残すのー?』とか、言われる。すごく若いけどね、えっと、同い年くらいじゃないかな。確か、25くらいだった気がする」
「25で子供が4人もいるんですか!?」
「最初は18だったからねえ。6年で4人。結構なスピードかな」
畑山は笑いながら、ウエイターが届けてくれたグラスを受け取り、それを手渡してくれる。次に自分も手に持ち、
「とりあえず、乾杯しようか」
「えっ、あっ、はい」
私はグラスを鳴らすを待った。
「ま、何かな。念願の告白ができた記念に、かな」
都合が悪ければ電車でもいい……、その意味をどうとらえるべきか分からなかったが、とにかく、上司が車で送っていってやるというのに、わざわざ断ることもないだろうと、その時は単純にそう思い、ロッカーへ荷物を取りに行き、そのままビルの表へ降りた。
既にそこには一台のスカイラインが停車しており、畑山の車がスカイラインだったということを今初めて知る。
近くまで寄り、サイドウインドを小さくノックする。
すぐにこちらに気付いた畑山は、一度運転席から降りてこちら側に歩いて来たのでどうしたのだろうと、不思議に思った。
「電車で帰るかなと思ったよ」
笑って言いながら、まさかドアを開けてくれる。
「えっ、あっ、あの、すみません」
なんとか返事だけして中へ乗り込む。
畑山部長ってこんな人だったっけ!? 疑問と疑惑と混乱で、頭の中はごちゃごちゃだったが、とにかくシートベルトはしっかりと締めて、発車するのを待った。
「食事してから帰ろうか、お腹すいたし」
えっ、そういう方向!? 驚いて、その澄ました横顔を見た。
「今日は僕の驕りだよ、残業お疲れ様」
そう言われれば、そうか、上司がそう言うなら、部下は返事をするしかない気がする。
「……すみません……」
「何が食べたい? 何でもいいなら、少し飲もうかな。帰りは代車にして」
この前の送別会の時、この人そんなに飲んでたかなあ……。
「藤沢さんは、飲む?」
グッドタイミングかどうなのか、信号待ちで停車したため、畑山はこちらを向いてしっかり聞いてきた。
「えっ、えっ、いえっ……」
「少しくらいなら大丈夫かな。この前それほど飲んでないのに、結構酔ってたからね」
そう言われて、色々なことを一気に思い出した。
「あっ、す、すみません……」
「いーのいーの、永井君のためにクッキー焼いて来た時は、何でと思ったけど」
あ゛―、やっぱり内心思ってたんだ……。
「す、すみません……そういうわけではなかったんですけど、な、流れで……」
「永井君頭いいからね。空気読めないふりして、すぐ人の心つかむから」
へー、永井ってそういう人だったんだ……。
「そうだったんですね」
「うん、そうだよー。藤沢さんの気持ちが、動きかけてるみたいにね」
って、それは、一体、どういう……。
「ね?」
畑山は再度確認するように、こちらを向いて笑顔で聞いた。
「……」
だが、何とも答えることができない。そもそも、質問の意味もよく分からなかった。
「さ、着いたよ。ここ」
うわ、また、しかも、わりと高めのお店だ……。
グラスという名のフーズバーは私も一度だけ来たことはあるが、雰囲気もいいし味もいいのだが、その分値段が高く、一般人は特別な日でなければ来られないような場所であった。
そこに、いとも簡単に、部下を連れて仕事帰りに食事をしようという畑山のセンスの良さを初めて知った瞬間であった。
「ありがとうございます」
言いながら、シートベルトを外す。
「いいよ、待って。ドア開けるから」
しかも、この上ない親切丁寧な対応。いや、さっきの会社のことを思い出すと、ただの部下への態度ではないことは一応承知だったが、これほどまでの気持ちの良い対応を断る、という選択肢も今は特になかった。
「ありがとうございます」
ドアを開けてもらい、外に出ようとする。
「地面濡れてるから、気を付けて」
まさか、手まで差し伸べてくれるこの様。
赤面するのが自分でも分かったが、その手を無下にすることもできず、しっかりとその手につかまって、車から降りた。
あまりの展開の速さに、ここにいる自分が信じられなくなる。
慣れている様子の畑山は、店のドアを開け、先に中に入った。
「予約していた畑山ですが……」
って、え!? もう予約してた!? い、いつの間に……。
店員に案内され、端のテーブル席に腰を下ろすことになる。深く大きなソファのすわり心地が良かったことを思い出しながらも、私は4つあるソファの奥に腰かけた。当然対面するように腰かけてくると思っていた畑山は、驚いたことに、左隣に腰を下ろした。
横……なの?
「畑山様、本日はご来店ありがとうございます」
上客の証だろう、店員とは違うスーツの男性が笑顔でわざわざ挨拶に回ってきてくれた。
「はは、まあまあ」
畑山は、少し照れるように顔を緩ませた。
「今日は部下とね、仕事帰りに食事を、と思って」
「そうですか! これはどうも、こんばんは。オーナーの吉住です。畑山先輩とは大学が同じで今もお世話になっています」
思いもしなかった挨拶を受けて、戸惑いながらも、
、「あっ、こんばんは。藤沢です!」
どうにか名前だけ告げた。
「先輩がこの前教えてくれたバーベキューセット、あれ良かったですよ。取り寄せるのにしばらくかかりましたけど」
「ああ、あれね、仲村(なかむら)が言ってたのをたまたま思い出しただけだったんだけど」
「ちょっと値は張りますけど、買って良かったって、僕以上に真紀(まき)が喜んでます」
気になって、オーナーの手を見た。なるほど、結婚指輪がはめられている。
「来週でも良かったら来て下さい。熱海の方に」
「熱海ねえ……ちょっと遠いからなあ」
「まあまあ、そう言わず、息子も喜びます。
藤沢さんも良かったらご一緒に。来週熱海でバーベキューしますので、是非いらしてください。もちろん先輩が運転しますから」
スーツのオーナーはにっこり笑って言ってくれるが、
「えっ、ええっ……」
うんとも、すんとも言い難い、妙な返事になってしまい、畑山をただ、見つめた。
「えっ、行きたい?」
こちらの視線に気付いた畑山は、逆に驚いたように見つめてくる。
「えっ、いっいえっ……」
「遠慮なさらなくても、来ていただけるだけでこちらは助かります」
「子守りね」
畑山は、苦笑しながら言った。
「いえいえ、そんな先輩の手を煩わせるつもりはないんですが、子供たちは先輩にとてもなついていますから」
子供相手に!? へー……いや、全然想像つかない……。
「じゃあまた、連絡しますから」
「ああ、分かったよ」
畑山は後輩が去ると、すぐにメニューを広げた。
「行く? 熱海」
社交辞令じゃなかったのか!? と思ったが、行かないとも言い難い。
「私は……別に大丈夫です」
「来週の土曜とか言ってたかな。じゃあ朝家まで迎えに行くよ」
ど、どうしよう……。いきなり遠出のデートに近くない? これ……。
「いえ、あの、近くまで行きます……」
「いいよ。そんな遠くないし」
畑山はさらりと言い、次にウエイターを呼ぶと、料理を注文し始めた。私の分も適当に頼んでくれるようである。
「あの、すみません、なんだか、突然参加するようなことになってしまって……」
しかも、オーナーとは初対面なのに、突然家族のバーベキューに参加するなんて、図々しいのではないか、という不安が過り始めた。
「大丈夫、子供が4人いるから、人手が多い方がいいんだよ。ちょっとうるさいかもしれないけど」
畑山はこちらを優しくみつめて言った。
「4人もいらっしゃるんですか!」
声は張り上げたが、目線は完全にずらした。
「うん、奥さんも気さくだし、全然敬語も使わないし、実家の母親みたいだよ。
『なんでピーマン残すのー?』とか、言われる。すごく若いけどね、えっと、同い年くらいじゃないかな。確か、25くらいだった気がする」
「25で子供が4人もいるんですか!?」
「最初は18だったからねえ。6年で4人。結構なスピードかな」
畑山は笑いながら、ウエイターが届けてくれたグラスを受け取り、それを手渡してくれる。次に自分も手に持ち、
「とりあえず、乾杯しようか」
「えっ、あっ、はい」
私はグラスを鳴らすを待った。
「ま、何かな。念願の告白ができた記念に、かな」