最初から、僕の手中に君はいる
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「吉住と俺は大学で経営学部だったんだけどね、まあ、その時は真面目だったからわりと勉強してたかな。遊ばず」
左隣の畑山は、スカイラインを発進させた時から、饒舌だった。いつもの無表情の無口顔がまるで別人のようだが、BGMは何もかけておらず、飾りも何もないシンプルな車内に、畑山のプライベートはまだまだ見えない。
「そうなんですか。私は結構大学で遊んでたかもしれない」
私は初めて見る私服を目の前にして近い距離でドキドキしながらも、テンポを合わせて、笑顔で会話を続けていく。
「大学は県内?」
スーツではない、濃い色のチノパンに黒いポロシャツが、大人の男の完成図を見ているようだ。
「いいえ、京都です。私立の大学の国文科に行きました。なんか、王道な感じですけど」
有名大学の大学院を出た畑山を前に、無名の私立の大学の話をしている自分が恥ずかしくなって、少し目を伏せた。
「京都か、いいね、雰囲気があって。お盆に旅行でも行こうか」
「…………」
独り言かどうか、迷う。
「無視?」
「えっ、あの、いえっ、独り言かと……」
苦しい言い訳だ。
「なわけないでしょ。隣にいるのに」
苦笑しながら、ちらとこちらを見られた。
「えーっと、あ、そうですね……」
「無難な返事だなあ。相槌で終わらせる気?」
「えっと、でもその……あの……」
「うん」
「ええー……だから」
「はいはい」
「…………」
一緒に旅行ってだって、……。
「つまりは?」
「あのー……」
「まだ伸ばす気?」
畑山は声を上げて笑った。
「別に、泊りじゃない、日帰りでもいいよ」
ま、できないこともないか……片道3時間……。
「できないこともないけど、ちょっとしんどいよね」
やはり畑山も同じ思いを抱いていた。
「そうですね」
「いいの? 泊りで」
えっ、そうなの!??
いや、そういう方向にもっていく気では……。
「えっ、えっ、あの、私、その、あの、……」
「うん」
「…………」
付き合うかどうか、まだ自分の中ではっきりしないんですけど……。
「その……」
好きかどうか、分からない。
「遊びに行くだけだから、深く考えないでいいよ」
決心して隣を見たが、畑山は真っ直ぐ前を見ていた。
「今は少し、永井君よりも、近づいていたいだけだから」
「永井さんは別に、何ともないですけど」
「……さてね……」
畑山はまっすぐ前を見つめている。運転をしているのだから当たり前だが、何か思い当たる節があるようだ。
「お盆の件、花火の日に合わせて行って、船から見ようか」
「えっ、船?……」
「クルーザー。貸してくれそうなアテがあるから」
「えっ、そうなんですか!?」
幅広い人脈に、感心しながら声を上げた。
「うん。叔父が京都にいてね。ちょっと言ってみよう。先約があるかもしれないけど」
「えっ、あの、私は別に……」
「なんでも?」
畑山は信号待ちでこちらを見て聞いたので、私は頷きながら返事をした。
「まあそう言わず。好みも教えてほしいな」
言いながら、笑った。
「少しずつでいいから、知っていきたいな。……藤沢さんのこと」
そこで畑山は、1人うーんと唸った。
「藤沢さん、という呼び方は少し親近感に欠けるね。彩ちゃん、というのも子供扱いみたいな気がするし。彩さん、というのはどうだろう?」
こちらをしっかり見つめて聞かれた。
「ええーと」
車は信号が青になり、発進する。
そういえば、池内に「彩さん」と呼ばれている流れからすると、一番無難な感じなのかもしれない。
「……はい、そうですね、池内さんにもそう呼ばれるし」
「気を付けるけど、時々呼び捨てになったらごめんね」
「…………」
前を見つめて、畑山は明るい声で続ける。
「まぁ」
何を言い出すのかな、と思ってその横顔を見つめていると、左手がそっと伸びてきた。
一度、右腕を触られる。次いで、手首、そして右手と探り当てると、
「気を付けてはいくけどね、……彩さん」
右手の甲の上からギュッと手を握ると、畑山はそのまま黙った。
手が触れ合う感覚だけが、頭の中を支配する。
辺りはエンジン音だけしか聞こえない。
「まだ少しかかるからね、朝も早かったし、寝てていいよ」
畑山は一度手を離すと、カーステレオのボタンを一度だけ押し、すぐに手を元の位置に戻した。
ゆったりとした、流れるようなピアノの曲が聴こえてくる。
右手が気になって仕方なかったが、曲に慣れてくると次第に目を閉じた。
朝早かったことが原因ではなく、もしかしたら、この手によって安心して目を閉じているのかもしれない。
そう思い始めた頃には、その大きな手をとても心地よく感じていた。
「吉住と俺は大学で経営学部だったんだけどね、まあ、その時は真面目だったからわりと勉強してたかな。遊ばず」
左隣の畑山は、スカイラインを発進させた時から、饒舌だった。いつもの無表情の無口顔がまるで別人のようだが、BGMは何もかけておらず、飾りも何もないシンプルな車内に、畑山のプライベートはまだまだ見えない。
「そうなんですか。私は結構大学で遊んでたかもしれない」
私は初めて見る私服を目の前にして近い距離でドキドキしながらも、テンポを合わせて、笑顔で会話を続けていく。
「大学は県内?」
スーツではない、濃い色のチノパンに黒いポロシャツが、大人の男の完成図を見ているようだ。
「いいえ、京都です。私立の大学の国文科に行きました。なんか、王道な感じですけど」
有名大学の大学院を出た畑山を前に、無名の私立の大学の話をしている自分が恥ずかしくなって、少し目を伏せた。
「京都か、いいね、雰囲気があって。お盆に旅行でも行こうか」
「…………」
独り言かどうか、迷う。
「無視?」
「えっ、あの、いえっ、独り言かと……」
苦しい言い訳だ。
「なわけないでしょ。隣にいるのに」
苦笑しながら、ちらとこちらを見られた。
「えーっと、あ、そうですね……」
「無難な返事だなあ。相槌で終わらせる気?」
「えっと、でもその……あの……」
「うん」
「ええー……だから」
「はいはい」
「…………」
一緒に旅行ってだって、……。
「つまりは?」
「あのー……」
「まだ伸ばす気?」
畑山は声を上げて笑った。
「別に、泊りじゃない、日帰りでもいいよ」
ま、できないこともないか……片道3時間……。
「できないこともないけど、ちょっとしんどいよね」
やはり畑山も同じ思いを抱いていた。
「そうですね」
「いいの? 泊りで」
えっ、そうなの!??
いや、そういう方向にもっていく気では……。
「えっ、えっ、あの、私、その、あの、……」
「うん」
「…………」
付き合うかどうか、まだ自分の中ではっきりしないんですけど……。
「その……」
好きかどうか、分からない。
「遊びに行くだけだから、深く考えないでいいよ」
決心して隣を見たが、畑山は真っ直ぐ前を見ていた。
「今は少し、永井君よりも、近づいていたいだけだから」
「永井さんは別に、何ともないですけど」
「……さてね……」
畑山はまっすぐ前を見つめている。運転をしているのだから当たり前だが、何か思い当たる節があるようだ。
「お盆の件、花火の日に合わせて行って、船から見ようか」
「えっ、船?……」
「クルーザー。貸してくれそうなアテがあるから」
「えっ、そうなんですか!?」
幅広い人脈に、感心しながら声を上げた。
「うん。叔父が京都にいてね。ちょっと言ってみよう。先約があるかもしれないけど」
「えっ、あの、私は別に……」
「なんでも?」
畑山は信号待ちでこちらを見て聞いたので、私は頷きながら返事をした。
「まあそう言わず。好みも教えてほしいな」
言いながら、笑った。
「少しずつでいいから、知っていきたいな。……藤沢さんのこと」
そこで畑山は、1人うーんと唸った。
「藤沢さん、という呼び方は少し親近感に欠けるね。彩ちゃん、というのも子供扱いみたいな気がするし。彩さん、というのはどうだろう?」
こちらをしっかり見つめて聞かれた。
「ええーと」
車は信号が青になり、発進する。
そういえば、池内に「彩さん」と呼ばれている流れからすると、一番無難な感じなのかもしれない。
「……はい、そうですね、池内さんにもそう呼ばれるし」
「気を付けるけど、時々呼び捨てになったらごめんね」
「…………」
前を見つめて、畑山は明るい声で続ける。
「まぁ」
何を言い出すのかな、と思ってその横顔を見つめていると、左手がそっと伸びてきた。
一度、右腕を触られる。次いで、手首、そして右手と探り当てると、
「気を付けてはいくけどね、……彩さん」
右手の甲の上からギュッと手を握ると、畑山はそのまま黙った。
手が触れ合う感覚だけが、頭の中を支配する。
辺りはエンジン音だけしか聞こえない。
「まだ少しかかるからね、朝も早かったし、寝てていいよ」
畑山は一度手を離すと、カーステレオのボタンを一度だけ押し、すぐに手を元の位置に戻した。
ゆったりとした、流れるようなピアノの曲が聴こえてくる。
右手が気になって仕方なかったが、曲に慣れてくると次第に目を閉じた。
朝早かったことが原因ではなく、もしかしたら、この手によって安心して目を閉じているのかもしれない。
そう思い始めた頃には、その大きな手をとても心地よく感じていた。