最初から、僕の手中に君はいる

9 真夏の海

 目の前にいる畑山が半袖にハーフパンツのウェットスーツを着ているだけで、完全に現実離れしている。

 いつものスーツしか知らない私は、その細身ながらも筋肉質な身体に目を奪われて仕方なかった。

 太い首、厚い肩、スーツから出た筋肉のついた腕、締まった手首、そこに巻かれたいつもと違う黒い腕時計。おそらく防水加工になっている物だろう。

 私はというと、スーツも勧められたが、やはり予想通り自分の水着を着ていた。……黒のビキニを。といっても、日焼け対策のつもりで、白のパーカーとデニムのホットパンツを履いている。水着と一緒に上着も持って来て正解だった。

「肉焼けたよー、先食べちゃってー」

 波打ち際から少し離れた場所でパラソルを3つも広げ、大きなバーベキューセットを広げた場所には、吉住の妻、真紀が目の前いっぱいに野菜やら肉をたくさん焼いている。その色とりどりの野菜より目に入ったのは、その恰好だ。

 4人も子供を産んだ身でありながら、ショッキングパープルの際どいビキニを、いとも簡単に着こなしている。なのに、髪の毛は黒髪で前髪パッツン、ボブカットに白い肌がなんとも日本人的で、魅惑的この上なかった。

 着替えた私は、小走りで近づき、少し畑山を追い越してから、

「お手伝いします」

 と、なんとか一言放った。

「じゃあお茶注いで、ごめんね」

 手荒にもきちんと用事を押しつけてくれる。だが、その方が楽だ。「いいから、いいから」と言われた時の方がもじもじしてしまう。

「いえいえ、えっと、何人分ですか?」

「私はノンアルコール。彩っちは?」

 年齢は確かに同い年だが、初対面にも関わらず、この馴れ馴れしさ。これが金髪のお姉ちゃんなら頷けるのだが、顔は奥ゆかしそうな和風美人なのだから、不思議だ。

「私はお茶でいいです」

「遠慮しなくてもー。飲めないの?」

「あんまり」

 苦笑いで留めておく。普段飲まないので、わざわざノンアルコールを飲もうという気にはならなかった、しかも初対面の方の家族の前ではなおさらだ。

「あそう。えっと、後3つだから、全部で4つお願いね」

「子供さんの分ですか?」

「うん、一応……」

 言いながら、真紀は視線を波打ち際に走らせる。3人の息子がそれぞれ入っている浮き輪の紐をしっかり握る父親と赤ちゃんを抱えた叔父、そこへ参戦しようとしている畑山を確認したようだ。

「えっと、直君でいいからね。あの子は」

 どうやらそれが、茶髪で上半身裸の赤ちゃんを抱えた若い男性のことらしい。

「あ、はい。弟さん……なんですよね?」

「そうそう、パパの、弟」

「……お皿とお箸も並べますね」

 適当にしてもよさそうな雰囲気だったので、重ねられていた紙皿と箸を並べることにする。

「あ、助かるぅ! ありがと」

 その声を聞きながら、海を見た。

 向こうから、7人がそれぞれわいわいとこちらに向かってきている。

「俺今日車あるけど、真紀さん送ってくれるー?」

 赤ちゃんを抱いたままの直が義姉に向かって軽く聞いた。

「そのつもりだけど?」

 真紀は笑った。

「はいはい、ジュース待ってねー。順番」

 吉住は一人ずつ順番に息子達を座らせ、急に騒がしくなる。

「えっと、ビールビール」

 畑山も慣れているのか、勝手知ったる我が家のようにクーラーボックスを開けた。

「……」

 ビール? ノンアルコールですよね?

真紀を除いたそれぞれが、簡易テーブルとセットの椅子に腰かけた時には、既に子供たちは箸を持ち、焼きそばを食べ始めていた。

「乾杯しようか、乾杯!」

 直は、ストローでジュースを飲む赤ちゃんをまだ抱いたまま、我先にと、缶ビールを持った右手を挙げた。

「はいはい」

 畑山が手に持っているのは、間違いなく、ビール。

 待て、ビールが抜けるまでには8時間はかかるはず。だとしたら、今が昼だから、まあ、8時か9時にこちらを出たら飲酒運転にはならない計算になる、というつもりなのか……。

 紙コップのお茶をとりあえず持った私は、それはもう畑山のビールが気になって仕方なかったが、とりあえず右手を出した。

「今日はー、俺の誕生日の一か月前を祝ってー」

「へー、9月だったんだー」

 真紀が言う。

「知ってるくせにぃ」

 直は嬉しそうに笑った。

「早く乾杯」

 4歳の長男が、ストローのジュースを持ったまま、せかす。

「よっしゃあ、じゃあ、かんぱーい!!」

 缶と缶が触れる音がし、わっと賑やかになると自然に笑顔にはなったが、どうしても畑山のビールが気になって仕方なかった。

 お茶を飲みながら、左隣を盗み見る。

 完全にビールを飲んでいる。

「ぶっ、ふっふっふっふっ……」

 吉住が笑いをこらえきれない、という様子で含み笑いを始めた。

「何?」

 畑山が聞く。

「あれ? 先輩……」

 肩が震えて声が出ていない。

「何?」

 畑山も笑いを堪えているようだ。目は笑っているが、眉毛が下がっている。

「あ、ビール飲んでる」

 直が言うなり、真紀も

「え、あ、泊まりなんだ……うち!?」

 ……………。

「えっ、あっ」

 という私の声は簡単にかき消された。

「わっはっはっはっはっはっはっ……」

 吉住の突然の笑い声に、

「えっ、うち!?」

 真紀は半分怒って確認した。

「なわけないない」

 つまらなさそうな直が答えた。

「普通デートで他人の家泊まるなんて、俺だったら絶対やらない」

「やるくせに」

 真紀は眉をひそめて笑った。腕を組み直したせいで、パープルのビキニからはみ出た胸が一層強調される。

「え……泊まりじゃないの?」

 直が、困り果てている私を見て聞いてきたが、返す言葉も見つからない。当の畑山も、言葉に困っているのか、ビールを飲み続けている。

「えっあ、うちでもいいよ?」

 気を遣った様子の真紀も一声出した。

「あの……」

 私はようやく畑山に話しかけた。

「帰るよ、遅くなるけど」

 まっすぐ前を向いたまま、そう答える。

「あーあ……帰るって」

 吉住は笑いが過ぎたのか半分溜息をつきながら、隣の何番目だか分からない息子に話しかけながら、皿から落ちた焼きそばをティッシュに包んだ。

 不意に吉住がこちらを向き、神妙な顔つきをしてくる。

「あ、夜用事あった? 」

「いえっ……」

 とっさに答える。

「大丈夫です」

 答えるなり真紀は

「じゃあうち、泊まる?」

「えっ、いえっ、あのっ……」

「誠二君もさ、飲んだ後に長距離の運転しんどいだろうから……ってね?」

 真紀は何故か直に確認する。

「俺なら1時間半くらい長距離に入らないけど、誠二さんは年だからね」

「余計だよ」

 ようやく畑山が一言返した。

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