最初から、僕の手中に君はいる

10 焦らされる キス

『風呂から出たら、少し話をしようか……。ロビーで待ち合わせでもいい?』

 その言葉はどんな意味が込められているのだろう。

 私は、ホテルの大浴場で頭を洗いながらずっと考えていた。

 昼間、海で遊んでからは、結局夕方も吉住達と外で食事をした後、予告通りホテルに入った。

 フロントで2人並んでキーを受け取ると、どんな顔をして畑山を見ていいか分からなくなったが、一つ確実なことは、嫌ではない、ということだ。

『風呂から出たら、少し、話を……』

 少し、話を……。

 付き合うか、合わないか、という話だろうか。

 ……どうしよう……。

 自分でも、どう説明して良いか分からなかったが、少し怖いと不安に思っていることは確かだった。

 今まで、どちらかというと苦手の部類に入っていた畑山に、突然こんなホテルまで連れてこられて、しかも、好き、だとか……。

 信じられない。

 少し前までは、話すこともほとんどない人だったのに。前から話そうと努力していた、なんて言われても、少し信じがたい。

 昼間もそうだ。みんなに散々からかわれながらも、堂々とホテルの話を出すところや、水上バイクの慣れた手つき。女性に慣れている証でもあるような気がした。

 年は10も上。35になるまでも、散々遊んできたのかもしれない。

 しばらくしたら営業部に戻るというし、一時の遊びの可能性も、ないとは言い切れない。

 そんな中で、本当に全ての言葉を本気ととっていってもいいのかと迷いに迷い、不安を自らで何倍にも仕立てあげてしまう。

 結局、迷いはふっきれず、不安と疑問を散々並べながら、風呂から上がった。

 時間は指定されていなかったが、とりあえず、ロビーに降りていく。

 浴衣姿を褒められたらどうしよう、とか、結い上げた髪が色気すぎないか、など細かいところにまで不安は募った。

「お待たせして、すみません……」

 午後9時のロビーは静かで、人の行き来も少ない。ソファに腰かけてテレビを見ていた浴衣姿の畑山は、すぐに立ち上がり、

「外行こうか」

 と、先に立った。

 その、布1枚の浴衣に、どきどきする。

 俯き加減で歩きながら、自動ドアで一旦隣に止まると、さっと、左手をとられて驚いた。

「……」

 顔を見る勇気はない。

 もちろん、振り払う勇気もない。

「10時くらいまで、チャペルが解放されてるらしいから、行ってみようか」

 …………。

 突然、結婚式の図が頭に浮かんだ。

 そのことしか、頭が回らなくなる。

「ここ、吉住の結婚式で来たことあるんだ。えっと、もう5年くらい前かな」

「吉住さん、素敵でした。真紀さん、大変そうでしたけど、今日はすごく楽しかったです」

 私は、素直に今日の感想を述べた。

「直が余計だったけどね」

 畑山は笑いながら言った。

「全く直は……まあ、まだ24だから仕方ないけど」

「あ、私よりも年下だったんですか」

「うん。高卒で兄貴の店手伝うって自分から言い出してね。仕事し始めてからはマシになったけど。

 ジェットから落ちた時、怖かったでしょ。あれもごめんね。避けきれなくて」

「あっ、いえっ、大丈夫です。面白かったですよ」

 気を遣って、とりあえず笑った。

「良かった」

 畑山は、握る手に少し力を込めた。

 辺りは街灯があるがお互いの顔は暗くてよく見えず、その手が、ただ温かいことだけは伝わった。

 チャペルはすぐ近くにあり、既に足はその敷地内に踏み入れようとしている。

「えっと、確かね……」

 言いながら、畑山は、重そうなドアを片手で開けた。

「チャペルのフロアには入れないけど、あ、ここか」

 ドアから入ってすぐ右に階段がある。

「ここの2階から少し見られるようになってるって言ってた」

 手を引かれて、言われるがままに、階段を昇る。

 2階に上がり、更に進むと、少し踊り場があり、そこから下のチャペルが見下ろせるようになっていた。

 ブルーのダウンライトで少し檀上を照らし、その檀上からは、海が一望できるようになっている。

「うわあ……、ここ、すごく広いですね。天井もすごく高い……」

「良いリゾートホテルだからね」

「ステンドグラスがすごく綺麗……」

 天井がドーム型になっており、中心部にはステンドグラスがはめ込まれていた。

「昼間、光が入るととても綺麗だったよ」

 しばし、柵に手をかけて、館内を見入る。手をつないでいることも忘れるほどの広さと、美しさを兼ね揃えたチャペルで、今まで行った式場のどこよりも素敵であった。

「ここに決めてもいいよ」

「えっ……」

 畑山の顔を見ようとして、やめた。

「…………」

 何をどういえばいいか、分からない。

「ここに……決めて……も?」

 言葉を繰り返す以外何も思いつかなかった。

「ここに決めても」

 畑山は、握っていた手を離し、繰り返した。

「今日は何もしないから安心して」

 言いながら、背後のその手がまわって来て、驚いて背を正した。

 背中の真ん中に、手をあてられる。

「今は……どきどきしてる?」

「えっ、あっ、そう……ですねっ……」

 どう返してよいか分からず、ただ相槌を打つ。

 背中の手は、ゆっくり少し下がり、身体が少し弓なりになる。

「けど、嫌じゃない?」

 手は帯のところで止まり、腰の上にある。

「えっ……嫌って?」

「今の状況」

「…………」

「嫌?」

 畑山は、どんどん詰め寄ってくる。

「いやじゃ……ないです……」

 思っていることを正直に言った。

「僕のこと、好き? それとも、分からない?」

 選択肢がちゃんとあって良かった、と思う。

 私は、すぐに答えた。

「……分かりません……」

 畑山はぐっと近づくと、背後から抱きしめるように、自らの左腕で私の身体を包み、左手の上に手を重ねて来る。

「もう少し近づけば、分かるようになるかもしれないね……」

 畑山の左手の人差し指が私の指の上を何度も撫でる。

 それが、左手の薬指だということに気付き、1人でカッとなった。

「まだ……どきどきしてる?」

 その声は近い、顔のすぐ側だ。

 私は身を少し縮めて答えた。

「……はい……」

 声が震える。

 それを察したのかどうなのか、今度は畑山の右手が顎をとらえた。

「そういうのはね……」

 キスされるかもしれない、と身構える。案の定、顔を畑山の方に向かされた。

 顔が近い。

「僕のことが好きっていうことなんだよ」

「……好き……?」

「今はまだ自覚するのをためらってるだけ。

 …………いいよ、キスしたければしても」

「えっ!?」

 驚いて身を引いた。

 畑山はパッと身体を離して、笑う。

「そうだね……キスしてもらおうか」

「えっ、そんなっ……えっ……」

 私は困り果てて、俯いた。

「今すぐとは言わないよ。まあ、なんというか、気が乗ったら」

 そんな適当なことでいいのか!? とつい心の中で突っ込んでしまう。

「さ、一度出ようか。今日は疲れたしね。早く寝よう」

 畑山は言いながら、一歩踏み出し、手を引いてくれる。

「…………」

 結局何もしなかったことを今になって少し後悔しながら、ただその後をついて行く。

 キスされるかもしれないとは思ったが、まさか自分からするなんて……さすがにそれは、やっばり……でもちょっと……。

「どうしたの? さっきから無言だけど」

 チャペルから出るなり、畑山は聞いた。

「いえっ……別に、そんな……」

 だけど、少し心残りな気がして、足を止めた。

「……なんでもない? 何でも言ってね」

 畑山は優しく、こちらの顔を伺う。

「…………」

「もう一度聞こうか?」

「えっ……」

 私は、顔を上げた。

「僕のこと、好き? それとも、分からない?」

 そう聞かれると、少し、分からなくなる。

「……よく……まだわかりません……」

「そう……じゃ……キスしたいってことなのかな」

 そう聞かれると、なんか、ちょっと違う気がするんですけど!

「したい? したくない?」

「……」

 詰め寄られると、どんどん顔が俯いていってしまう。

「素直じゃないな」

 畑山は笑いながら、

「顔上げてよ。せめて」

「もっと」

 羞恥心を抑えて、顎を上げる。

「……」

 上を向いた唇に、畑山は親指でなぞり、感触を確かめた。

「まあけど、好きって自覚してからにしよう。後悔してもいけないし」

 言いながらも、指を何度も這わせてくる。その心地よい感覚に、少し眠気を感じるほどだった。

「……後悔しない?」

 気持ちを察してくれたのか、畑山はもう一度きいた。

「……しません……」

 今度は簡単に答えられる。

「僕のこと、好きだよね?」

 畑山の顔はどんどん近づいてくる。

「……それを信じて、キスするよ」

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