最初から、僕の手中に君はいる
11 手を引いてもらえませんか?
ディスプレイを見てているのに、仕事のことはなに一つ考えず、ほんの数メートル先のデスクの前で真剣に仕事をしている畑山のことしか、考えられない。
土曜日のマリンジェット、宿泊、日曜日のドライブで2人の距離は明らかに変わった。
予告通り、ホテルでは別々の部屋で寝て何事もなかったが、それでも私の心は確実に畑山の方へ傾いていた。
あらゆるシーンで好きだと言われ、手や身体に触れられ、見つめられる。
10も年上で、上司でもある畑山とうまく付き合えるのかと聞かれると、自信はなかったが、それでも、今度本人に聞かれたら、頷く以外の答えが出せるとは思えなかった。
それほどまでに、頭と胸の中が畑山でいっぱいになっている。
愛される、というのはこういうことなのかもしれない。
頭の中でふっと気付き、1人赤面する。
いけない。
畑山は、誰にも悟られぬよう、いつも通り接してくるつもりなので、しっかりとそれに応えなければいけない。
「えっとそれで、駐車場は一体どこなの?」
扇の声が聞こえたのでちらっとそちらを見た。彼女はファイルを抱えて移動しようとする高知に尋ねている。
「そのすぐ南、第二駐車場もあるよ」
「混むかしら?」
「おそらく」
2人の会話に堂々と割って入ったのは、シニアの菅原だ。
「何の駐車場?」
「病院。人間ドック」
「あー、あそこな、駐車場すぐいっぱいになるんよ」
「あ、病院。ランチの場所かと思った」
全体的に暇な雰囲気のせいか、秋元もその輪に入った。
「あ、ランチといえばね、この前その病院の近くのホテルランチに行ったんだけど、良かったわよー」
言いながら、扇はすぐにバックを漁り、パンフレットを出してくる。
「高そうなランチですなー」
一番関係なさそうな菅原は、一番にパンフレットを見て感想を述べた。
「それが1500円! 安いでしょ、けど人気で予約がいっぱいなの」
「うどん屋さんだったら500円で腹いっぱい食べれるよ?」
「んもー、うどん屋さんは小麦粉だけだけど、ここのランチは肉!」
「うどん屋さんには、カレーもあるよ」
その大先輩の菅原を無視して、
「あ、よさそうですね」
集まってきた永井が今度はパンフレットを広げた。
「行くといいわ、おススメ。うちの主人も美味しいって言ってたから」
「場所も近いですね」
「私にすれば30分は遠いけど。彼女と行けばいいじゃない」
扇は何気にその言葉を出したようだが、永井は周囲を凍らせるような一言を発した。
「藤沢さん、行きますか?」
今日の分がまだ終わっていない私は、それでも一生懸命作業に取り組んで、話の輪に入ることもしていなかったのに、突然名前を呼ばれて、相当驚いた。
「えっ」
手を止めて、永井を見つめた。
「彼女?」
菅原がこちらを指差す。
「いっ、いえっ……」
「そういうんじゃないですけど」
永井は笑いながら、弁解をしたが、全員が勘違いしたのは言うまでもない。
証拠に、右ひじの辺りに隣の池内の腕が当たるなと思ったら、肘でこちらをつついてきていた。
みんなしっかり聞いている。
「えっ、あんたら付き合ってたの!?」
遅れて、扇が反応した。
「そういうんじゃないですけど!」
永井は完全に否定しているが、それは言葉だけのことで、顔は明らかに笑っていた。
「あらまあまあ、年上女房ですか」
菅原は勝手に納得をし、
「永井君尻に敷かれそうなタイプよね」
扇も否定しない。
「僕は前から気付いてましたけど」
何言ってんだこの人!? 私は驚いて高知を見た。
「えっ、そうなの!?」
扇も勝手に盛り上がる。
「だって仲いいじゃないですか。プライベートもどっか行ってますよね?」
高知はこちらに向かって聞いた。
「いや、ほんとに付き合ってませんから! 」
永井は笑いながらも否定するが、その笑いが余計だということに気付いてない。
「あーあ、もう若い子同士勝手に盛り上がって」
扇はさじを投げたが、勝手に盛り上がってるのはそっちですけど!
「いつからなんですか?」
池内がここぞとばかりに聞いてきた。
「いや、ちょっと、そんなわけ……」
「おーい」
畑山は、盛り上がりすぎた群衆を制すように声をかけた。
だが、それを無視するように永井は
「僕は別にほんとに付き合ってもいいとは思いますけどね」
「…………」
目がずっと合っている。
相手の顔はいつも通り。
返す言葉が見つからない。
「えっ、付き合ってないの?」
扇の声が聞こえて、ようやく永井はそちらを向いた。
「だからないですって」
永井はきちんと否定する。
「あのー、けど付き合っていいって言ってるってことは、付き合うべきだと思うな、僕」
畑山に書類を提出しながら、やり手のデブ、丸松がこちらを見てニコッと笑った。
「ま、そら本人同士ちゃう?」
亀の甲より年の功なのか、菅原はまともなコメントを出す。
「僕はいいと思いますよ、僕は。ただ部長代理が黙っておくかどうかはわかりませんけど」
丸松は輪に入りながらまだ続けた。
「何で僕なんですか」
真面目にディスプレイを見ていた代理は、一旦身体を引き、コーヒーを手にしながら笑って言った。
「あのーだって、そういうの嫌いでしょ? 他人の幸せ」
「僕は何とも思いません」
「だそうです。他人の幸せは自分の不幸と思ってるそうです」
丸松の解説に、
「僕何も言ってませんよ!」
代理は笑って否定した。
「おーい。そこまで」
畑山はさすがに少し背を伸ばして制した。気付けば、全員仕事をしていない。
「あの、ちなみにどうなんですか、部長は」
さすが丸松だ。丸松は本来他部著の部長であったが、闘病から復帰したばかりのため、現在人数不足のここの部でしばらくいるだけの、本来は地位も名誉も人望もある、畑山よりも先輩にあたる人物である。
つまり、このふざけた質問に、畑山がどう切り返すのかは、見どころでもあった。
「別に、どうも思いません」
どこも見ずに、畑山は言う。
「畑山部長、僕見間違いかも分からないんですけど、この前女性と一緒に歩いてましたよね?」
心臓が痛いくらい、ドキッとした。
まさか、見られていた!?
「……嘘はやめてください。僕は独り者です」
吐き捨てるような否定に、胸の奥がジンとした。
「またまたぁ、この前も営業部の石原さんが、『まだ営業部戻らないのかしら?』って嘆いてましたよ」
「あの人は特殊でしょ」
代理が突っ込んだが、石原という人がどんな人なのかは全く分からない私は、突然不安になった。
「えっ、どんな人?」
右隣の池内がこちらに向かって聞いたが、私は首を傾げた。それに気づいた代理が答えてくれる。
「畑山部長のファン歴10年の人」
「すごい美人でね、スタイルもよくて、ちょーっと嫌味な感じの人」
丸松は説明する。
「だいぶ嫌味でしょ、あれは」
代理は笑った。
「どんな感じですか?」
池内は前にいる代理に聞く。
「あのね、ここに部長のコップがあるでしょ? 飲んだ後の。それ持って帰る人」
「えっ、そんなことしてたのあの人!?」
丸松が大きく反応した。
「はい、僕見たことありますからね。実際持って帰るところ」
「へーそれはそれは……。けどそれ、嫌味と全然関係ないところじゃないですか」
丸松は笑った。
「えっ、まあそうですけど……他に何かあります?」
代理は丸松に聞いた。
「あの、もういいですから」
畑山は代理に向かって言ったが、丸松には聞こえなかったようだ。
「畑山部長の家で張ってたとか、よく聞きましたけどね。そういう自慢話」
「自慢というか、完全にストーカーじゃないですか、それ」
代理は丸松に言った。
「それが嫌味度抜群でね、私の高級スカーフをドアノブに巻きつきようと思ったとか、やれ、美人の私の方を見てるとか、そういうあれですわ」
丸松は池内に向かって頷いた。
「ストーカーですね」
池内もつられて頷いた。
「いつも代理がしてることと同じことです、早く言えば」
「僕はストーカーしません、スカーフも巻きつけません、嫌味も言いません、ちょっとしか」
「ね? 気付いたら畑山部長の家の前で張ってネクタイ巻きつけてますよ」
「安物のねって、何で畑山部長なんですか!」
「えっ、僕!? 僕はダメよ。嫁さんがいるから」
「なんで僕が丸松さんを……勘弁してください!」
「はははははは…………」
丸松は笑いながら畑山を見たが、畑山は完全に丸松を睨んでいた。
「……仕事しようっと」
それを合図に全員が元に戻って行く。
畑山を見た。彼はもちろんこちらを見ていない。
知らないことがたくさんあるな、と思った。一番に感じたのはそこだった。
……これから……知っていけるだろうか。
今まで何も知らなかったことを、教えてもらえるだろうか。
土曜日のマリンジェット、宿泊、日曜日のドライブで2人の距離は明らかに変わった。
予告通り、ホテルでは別々の部屋で寝て何事もなかったが、それでも私の心は確実に畑山の方へ傾いていた。
あらゆるシーンで好きだと言われ、手や身体に触れられ、見つめられる。
10も年上で、上司でもある畑山とうまく付き合えるのかと聞かれると、自信はなかったが、それでも、今度本人に聞かれたら、頷く以外の答えが出せるとは思えなかった。
それほどまでに、頭と胸の中が畑山でいっぱいになっている。
愛される、というのはこういうことなのかもしれない。
頭の中でふっと気付き、1人赤面する。
いけない。
畑山は、誰にも悟られぬよう、いつも通り接してくるつもりなので、しっかりとそれに応えなければいけない。
「えっとそれで、駐車場は一体どこなの?」
扇の声が聞こえたのでちらっとそちらを見た。彼女はファイルを抱えて移動しようとする高知に尋ねている。
「そのすぐ南、第二駐車場もあるよ」
「混むかしら?」
「おそらく」
2人の会話に堂々と割って入ったのは、シニアの菅原だ。
「何の駐車場?」
「病院。人間ドック」
「あー、あそこな、駐車場すぐいっぱいになるんよ」
「あ、病院。ランチの場所かと思った」
全体的に暇な雰囲気のせいか、秋元もその輪に入った。
「あ、ランチといえばね、この前その病院の近くのホテルランチに行ったんだけど、良かったわよー」
言いながら、扇はすぐにバックを漁り、パンフレットを出してくる。
「高そうなランチですなー」
一番関係なさそうな菅原は、一番にパンフレットを見て感想を述べた。
「それが1500円! 安いでしょ、けど人気で予約がいっぱいなの」
「うどん屋さんだったら500円で腹いっぱい食べれるよ?」
「んもー、うどん屋さんは小麦粉だけだけど、ここのランチは肉!」
「うどん屋さんには、カレーもあるよ」
その大先輩の菅原を無視して、
「あ、よさそうですね」
集まってきた永井が今度はパンフレットを広げた。
「行くといいわ、おススメ。うちの主人も美味しいって言ってたから」
「場所も近いですね」
「私にすれば30分は遠いけど。彼女と行けばいいじゃない」
扇は何気にその言葉を出したようだが、永井は周囲を凍らせるような一言を発した。
「藤沢さん、行きますか?」
今日の分がまだ終わっていない私は、それでも一生懸命作業に取り組んで、話の輪に入ることもしていなかったのに、突然名前を呼ばれて、相当驚いた。
「えっ」
手を止めて、永井を見つめた。
「彼女?」
菅原がこちらを指差す。
「いっ、いえっ……」
「そういうんじゃないですけど」
永井は笑いながら、弁解をしたが、全員が勘違いしたのは言うまでもない。
証拠に、右ひじの辺りに隣の池内の腕が当たるなと思ったら、肘でこちらをつついてきていた。
みんなしっかり聞いている。
「えっ、あんたら付き合ってたの!?」
遅れて、扇が反応した。
「そういうんじゃないですけど!」
永井は完全に否定しているが、それは言葉だけのことで、顔は明らかに笑っていた。
「あらまあまあ、年上女房ですか」
菅原は勝手に納得をし、
「永井君尻に敷かれそうなタイプよね」
扇も否定しない。
「僕は前から気付いてましたけど」
何言ってんだこの人!? 私は驚いて高知を見た。
「えっ、そうなの!?」
扇も勝手に盛り上がる。
「だって仲いいじゃないですか。プライベートもどっか行ってますよね?」
高知はこちらに向かって聞いた。
「いや、ほんとに付き合ってませんから! 」
永井は笑いながらも否定するが、その笑いが余計だということに気付いてない。
「あーあ、もう若い子同士勝手に盛り上がって」
扇はさじを投げたが、勝手に盛り上がってるのはそっちですけど!
「いつからなんですか?」
池内がここぞとばかりに聞いてきた。
「いや、ちょっと、そんなわけ……」
「おーい」
畑山は、盛り上がりすぎた群衆を制すように声をかけた。
だが、それを無視するように永井は
「僕は別にほんとに付き合ってもいいとは思いますけどね」
「…………」
目がずっと合っている。
相手の顔はいつも通り。
返す言葉が見つからない。
「えっ、付き合ってないの?」
扇の声が聞こえて、ようやく永井はそちらを向いた。
「だからないですって」
永井はきちんと否定する。
「あのー、けど付き合っていいって言ってるってことは、付き合うべきだと思うな、僕」
畑山に書類を提出しながら、やり手のデブ、丸松がこちらを見てニコッと笑った。
「ま、そら本人同士ちゃう?」
亀の甲より年の功なのか、菅原はまともなコメントを出す。
「僕はいいと思いますよ、僕は。ただ部長代理が黙っておくかどうかはわかりませんけど」
丸松は輪に入りながらまだ続けた。
「何で僕なんですか」
真面目にディスプレイを見ていた代理は、一旦身体を引き、コーヒーを手にしながら笑って言った。
「あのーだって、そういうの嫌いでしょ? 他人の幸せ」
「僕は何とも思いません」
「だそうです。他人の幸せは自分の不幸と思ってるそうです」
丸松の解説に、
「僕何も言ってませんよ!」
代理は笑って否定した。
「おーい。そこまで」
畑山はさすがに少し背を伸ばして制した。気付けば、全員仕事をしていない。
「あの、ちなみにどうなんですか、部長は」
さすが丸松だ。丸松は本来他部著の部長であったが、闘病から復帰したばかりのため、現在人数不足のここの部でしばらくいるだけの、本来は地位も名誉も人望もある、畑山よりも先輩にあたる人物である。
つまり、このふざけた質問に、畑山がどう切り返すのかは、見どころでもあった。
「別に、どうも思いません」
どこも見ずに、畑山は言う。
「畑山部長、僕見間違いかも分からないんですけど、この前女性と一緒に歩いてましたよね?」
心臓が痛いくらい、ドキッとした。
まさか、見られていた!?
「……嘘はやめてください。僕は独り者です」
吐き捨てるような否定に、胸の奥がジンとした。
「またまたぁ、この前も営業部の石原さんが、『まだ営業部戻らないのかしら?』って嘆いてましたよ」
「あの人は特殊でしょ」
代理が突っ込んだが、石原という人がどんな人なのかは全く分からない私は、突然不安になった。
「えっ、どんな人?」
右隣の池内がこちらに向かって聞いたが、私は首を傾げた。それに気づいた代理が答えてくれる。
「畑山部長のファン歴10年の人」
「すごい美人でね、スタイルもよくて、ちょーっと嫌味な感じの人」
丸松は説明する。
「だいぶ嫌味でしょ、あれは」
代理は笑った。
「どんな感じですか?」
池内は前にいる代理に聞く。
「あのね、ここに部長のコップがあるでしょ? 飲んだ後の。それ持って帰る人」
「えっ、そんなことしてたのあの人!?」
丸松が大きく反応した。
「はい、僕見たことありますからね。実際持って帰るところ」
「へーそれはそれは……。けどそれ、嫌味と全然関係ないところじゃないですか」
丸松は笑った。
「えっ、まあそうですけど……他に何かあります?」
代理は丸松に聞いた。
「あの、もういいですから」
畑山は代理に向かって言ったが、丸松には聞こえなかったようだ。
「畑山部長の家で張ってたとか、よく聞きましたけどね。そういう自慢話」
「自慢というか、完全にストーカーじゃないですか、それ」
代理は丸松に言った。
「それが嫌味度抜群でね、私の高級スカーフをドアノブに巻きつきようと思ったとか、やれ、美人の私の方を見てるとか、そういうあれですわ」
丸松は池内に向かって頷いた。
「ストーカーですね」
池内もつられて頷いた。
「いつも代理がしてることと同じことです、早く言えば」
「僕はストーカーしません、スカーフも巻きつけません、嫌味も言いません、ちょっとしか」
「ね? 気付いたら畑山部長の家の前で張ってネクタイ巻きつけてますよ」
「安物のねって、何で畑山部長なんですか!」
「えっ、僕!? 僕はダメよ。嫁さんがいるから」
「なんで僕が丸松さんを……勘弁してください!」
「はははははは…………」
丸松は笑いながら畑山を見たが、畑山は完全に丸松を睨んでいた。
「……仕事しようっと」
それを合図に全員が元に戻って行く。
畑山を見た。彼はもちろんこちらを見ていない。
知らないことがたくさんあるな、と思った。一番に感じたのはそこだった。
……これから……知っていけるだろうか。
今まで何も知らなかったことを、教えてもらえるだろうか。