最初から、僕の手中に君はいる

2 入力ミスの疑惑

 
 私が勤めている会社で販売しているのは、国内最大の家電メーカーだが、一部ランチジャーやしゃもじなど、電気に関係のない商品も取り扱っている。

その中の総務部はビルの中に部屋が単独であり、1人1台のデスクとパソコンが与えられ、財務管理を主な仕事としている。

 そんな中で、一部の取引先の仕入れや発注は、共用のパソコンでのみ作業をしていた。毎日する作業で急ぎの物があるせいで、個人への振り分けが難しく、空いた人が順次する仕組みになっている。

 システムを変えれば、個人のパソコンでもできるようになるのだろうが、今はそこまで費用を出してもらえないため、不便な思いプラス辛い思いをしていた。

 その理由が入力ミスによる誤差である。

 誤差が発生しても基本、財務部から連絡が来るまで分からないので、日にちは分かっても、誰が入力をミスしたのかが分かりにくくなってしまっていた。

「昨日の誤差、絶対菅原さんですよ。だって、1000円も多いんですよ!? 普通間違えないと思うけどなあ」

 右隣で愚痴っている池内、私、左隣の秋元が主に共用パソコンを使うのだが、時折菅原、扇や永井も使っているため、誤差が出た場合は、誰が犯人なのか全く分からない状況であった。

 専任を決めるという話も一旦出たが、結局その人の手が空いていない場合他の人が変わりにするため、同じではないかという話で前に進んではいなかった。

 つまり、そのくらい販売数は上がっていたし、売り上げもあったので、多少の誤差は無視しようという流れになっている気がする。

「畑山部長、ちょっと不機嫌だったのよ。うーんみたいな感じで」

「あ、それちょっと分かります。無表情が怖いですよね」

「そうそう、もうね、いいのよ。別に私が犯人だったって!」

 池内が投げやりな言葉を出すのはいつものことだが、私は必ずフォローにまわることにしている。

「だってそんなの誰が犯人か分からないじゃないですか。私だって昨日打ったし」

「けどこの前ね、実は私が誤差したのよ……。それでわざわざ電話がかかって来てね。10円多かったって。そんなの貰っときゃいいのにね、黙って。私なら10円ラッキーで済ませるわ。でそれを部長に報告した時もね、無表情で報告書書くよう指示するんだけどね。それがまた怖くって。

美形で無口なんだから、まあ、いいんだけど。仕事もできるからまあいいんだけどね。

なんというか、部下にだけはなりたくないわ」
 
池内は面白かったのか、自分で言って、自分で笑った。

「そんなに美形……ですかね?」

「整った顔してない? 人気あるのよ、あれで」

 確かに、人気があることは知っていた。顔は好みがあるだろうが、そういえば目鼻立ちは整っているし、肌の色は白いが細身の割に筋肉質な感じがする。

 一番の人気は普段無口なのに、喋ると優しい。目だけ笑ってセリフの語尾に、「ね」をつけることが多く、それだけで暖かな人のような雰囲気だった。

 肩書は部長だけあって、仕事には厳しいし、普段の無口が仇になっている気はするが、これといった被害も利害も今のところ私は受けてはいない。

「独身……ですよね」

 私は今更ながら池内に確認した。池内が今の時点で既婚であることは間違いないが、昨日の親密さを見てしまってからは、まだ疑いの気持ちが晴れてはいなかった。

「うんそう。私と同い年だけど独身。けど本気で告白してる子、いっぱいいるんだから! でもその気持ちも分かるなあ」

「えっ……。あ、そんなモテるんですか!? 初めて聞きました、私」

 その告白の1人がまさか、池内では……いや、まさか……。

「彩さんあまり興味ないんだったね。じゃあ、この中で一番恰好いいの、誰?」

 その池内のセリフは何度か聞いたがいつも邪魔が入る。だが今日は大丈夫そうだ。

「この中でって……池内さんは、高知さんでしょ? マッチョの」

 声楽部出身の高知は、私の中では完全に対象外だった。だが、今考えれば、そう言って、畑山のことをカムフラージュしているのかもしれない。

「私は結構声も顔もいいと思うんだけどなあ」

「……私は全然興味ないです」

「あそう? まあ、他にって言われると、後は王道の部長か、海が友達の部長代理か、やり手のデブ、タバコ臭いガリ、と……永井君か、菅原さんくらいだけど」

「酷いけど当たってる」

 私はその表現に多いにウケながら、キーボードに手を戻した。

「私は、永井さんですよ。若いし背高いし、イケメン」

 目の前のパソコンの向こうを直視すると、彼の目から上と黒い頭が揺れているのが少し見えた。

 この距離だと雑音に紛れて、こちらの雑談は聞こえていない。

「私もう、こんなに年下だとダメだわ。3つくらいが限界かな。いや、自分より若いってのはもうナシかもしれない」

 というか、結婚した時点で既にどの選択もなくなっているくせに、と私は思いながら、扇に高い声で呼ばれたので「はーい」と声を出して、振り返った。


3

 思えば私は、女性の中で一番の年下で下っ端だから、雑用の範囲に入る共用パソコンを一番多く使っているのは私かもしれない。

 ということは、ミスを出している可能性が一番高いのは、私……ということになる。

「あのー、すみません、誤差が出たらしいんですけど……」

 午後5時も近くなって、誤差の報告の社内メールが来るなんて最悪だが、今回の誤差は完全にとばっちりだった。

犯人本人に言うことができずに、私は畑山部長のデスクの前に立つ。

「うん……いくら?」

 畑山はパソコンから目だけ上げて、聞いた。

「あの……500円足りないんですけど。あの、私が小久保(こくぼ)さんに指示されて打ったんですけど、それが間違っていたようなんです」

 畑山は一度パソコンに目を落とすと、席を立ち、わざわざ部屋の端にある共用パソコンまで歩いて来た。

「うん……どういう内容?」

 タバコ臭いせいかどうかは分からないが、小久保の席は畑山から一番離れていたが、それでも話の内容に気を遣ってくれたようだ。

畑山はパソコンの隣で壁に背をつけ、腕を組んで聞く体制に入った。

 その前で、俯き加減に正確に報告しようとする、あまり良い図式とは言えない私。 

「あの、3日前、小久保さんが入力してるところにお客さんが来て、近くにいた私が頼まれて、言われるがままに3000って打ったんですけど、あの時は本当は3500だったんです」

「あそう……」

 畑山はパソコンのキーボード辺りをじっと見ていたが、スッと息を吸って、

「うん、まあ、小久保さんに一応聞いてはみるけど」

「……はい」

 一応……という言葉が引っかかる。

「けど、できれば打つ前に一度確認してほしかったな。でないとまた、藤沢さんが疑われるからね」

「畑山部長、電話でーす!!」

 扇の高い声が飛び、畑山はすぐにそれに反応し、去っていく。

 『また』……?

 またって、何??

 私、疑われてた?? 

 一番パソコン打つのが私だから、私が犯人かもって、実は疑われてた?

 元々、営業部部長代理だった畑山が総務部に来たのは、前総務部長と現代理が接待ゴルフの帰りに事故に遭い、亡くなったからである。

 時同じくして、アメリカ研修から帰ってきたベテランが営業部に戻ったことにより、当時代理だった畑山はその座を譲り、総務部長によくしてもらっていた自分は総務を立て直したいという畑山の希望で、突然人事が異動したのだった。

 畑山は有名大学院を卒業してからずっと営業部にいるエリートだ。何のせいで結婚していないのかは知らないが、モテるらしいし、人望も厚そうだし、人気はあるのだろう。

 その畑山に、まさか入力ミスの犯人として疑われていたとは……。

 そのショックは大きかった。誰が犯人かも分からない中で、名前を挙げられたことに半分怒りも感じた。けど、証拠がない。防犯カメラはついていないし、似たような発注になると正確に把握できないのが現状だ。

 それなのに、私が間違っていると思われている……。

 一番仕事ができないのは自覚している。それは後から入社した1つ下の永井よりも、仕事ができないし、いつも秋元や池内のフォローで成り立っているのも分かっている。

 もしかしたら、扇も疑っているのかもしれない……。畑山と扇は仲が良く、よく2人きりで話もしている。

 まさかこんな、片手間のような仕事のちょっとしたミスでこんな風に思われていただなんて……。

 今まで真面目に出勤し、仕事は期限までにこなし、ミスすることもあったけど、し直しがきく程度のことで。それくらいちゃんと働いていたはずなのに。

 どうして……私が疑われていたんだろう。


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