晴明の悪点
「死人が蘇るというと、帰燕(きさつ)という方法があるが、それも最終的にはまやかしだ。
本当に蘇るということは、ない」
蘇ったとしても、魂だけが現世に蘇る、ということだ。
本当に蘇ったわけではない。
「葉月に、死したはずの人の霊魂が現れるという話もございます。
・・・いいや、いまは弥生にございますけれど」
知らぬ間に葉月が来たと思わせるような言い方である。
蓬丸が言っているのは、いわゆる「お盆」のことだ。しかしそれも否。
「やはり、鎮魂の儀を執り行うべきなのか」
「それは内裏の者どもが行うことでございます。
そりゃあ、死人が蘇ってきたのも摩訶不思議。
怨念やらで蘇った者たちばかりであれば鎮魂の儀も行うべきでございますが、
お昼に清明様も言うていたでしょう。
亡くした肉親が戻ってきてくれるのは悪いことではないと」
確かに、そう言った。
しかしそれは、ただの死者黄泉がえりである場合につきだ。
土から感じられたのは悪意。しかも清明の術が弾かれた。
相当なものである。
だから清明は、やや、これはただ事ではないのではないか、と珍しく目星をつけたのだった。
「祈祷だけでもやっておきますか?」
「一応、怨念やらが関わっているのならば、早急に静まってもらわなければなるまい」
清明の場合、呪われる人も怨念を残した側の死人にも気を遣っている。
さすがだ。どちらにも非をもたらさない。
「・・・安酒でも、持ってこればよかった」
清明は酒は飲めない。飲めてたしなむ程度である。
彼くらいの身分だと濁り酒くらいなら手に入れられるが、今は残念ながら持ち合わせていない。
「清明様、私が持っています」
「おやっ」