ゆきんこ
座敷から抜け出し、客用スリッパを履いて…通路を小走りする。

イケナイことしている訳でもないのに、ドキドキするのは。

自分にとって、新しい境地に足を踏み入れる時の心境に…よく似ていた。




女性用トイレの目の前、その壁に寄りかかって…
手に握りしめていたスマフォに、視線を移す。

真っ暗な画面に…灯りがともったその時。



「あ……。」

暫く見なかった、黄緑色のそれが…画面に小さく現れていた。




『今日雪降った?』

絵文字も、スタンプもない…LINEのメッセージ。

彼女に送って来るような…内容でもなく。
世間話程度の…それなのに。

その言葉には、破壊力があった。


もう、愛しくて愛しくて…、仕様がないのだ。



考えるよりも先に、指が…動いていた。

迷わず彼の名前を探しだし、躊躇なく……通話キーをタップする。



すると……、どうだ。

コール音が鳴るか鳴らないか、という内に……、私の鼓膜をくすぐる低い声が。


名前を…呼んだ。




『…福嶋?…びっくりした、すっげー早い返し。』


さっきの『ソワソワ』が…身体中を、駆け巡る。

『どーした?』

「…うん。丁度今、LINE見たから…。」

『あー…、そうそう。そっち、すげー気温低かったんだろ?』

「うん、でも、今日雪は――…」



と。

そこまで言った時だった。



「いたいた、幸ちゃん!」

突然…、通路の向こう側から名前を呼ばれる。


駆け寄って来たのは、相模さんと仲の良い、3年生の先輩。


「…ごめん新野。ちょっと待って。」そう新野に断ってから…スマフォを持つ手を、耳元から下げる。


「何ですか?」


「幸ちゃん車で来たって言ってたよね。あのさー悪いんだけど、一次会で帰るなら…相模のアホもついでに、アパートまで送ってくんない?珍しく悪酔いしたみたいで…もう呂律は回んないし、フラフラでさ。」


「……あー…。…ごめんなさい、定員オーバーになっちゃうので…。」


「ああ、それなら大丈夫。中根も高橋も、二次会参加するって。」


「ええっ。聞いてないッ!」

「あはは、何そのリアクション!奴ら結構盛り上がってたからなあ…。だから…、お願い。」

「…………。」

だけどそれは、あの密閉空間に相模さんと二人きりになるってことで……。


「アイツからの最初で最後のお願いってことで!なんでああなったのかは…察して欲しい。」


先輩からの…頼みを。
無下に断ることは、出来ない。


だけど、
だけど……。


「本当に……、すみません。」
握るスマフォに…ぎゅっと力を込めて。


私は、ただただ……頭を下げた。



「や。そこまで…謝らなくても。大丈夫、ダメもとで聞いてみただけだから。なんつーか、お節介?」


「………。」



「んじゃま、そういうことで!」


先輩は、私の手元と、それから…顔とを見比べるようにして。

両手をつき合わせるや否や…『ごめんね』と口パクした。



けれど、その顔は……やや口角が上がっていて。

もしかすると、気づいていての、確信犯…?




私は1つ、頭を下げると……

さっきまでとは違ったタチの動悸を抑えながら…また、スマフォを耳元に戻した。





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