君という海に溺れる
言葉だけを聞けば、それはよく似た問いかもしれないけれど。
そんな簡単なことならわざわざ聞くことはない。
(それはそれで答えづらいだろうけどね)
もしそんな質問だったなら、幾らでも受け流すことが出来ただろう。
アダムがそうしなかったのは、きっとその意味がわかっているから。
私が問い掛けたのはある意味"依存"に近い感覚だ。
「…私ね、いつも誰かの一番になりたかった」
それは重く歪んだ感情の一つだと思う。
私にとって"一番"という言葉はとても重要で。意味のある言葉。
そしてそれは、私がどれほど願っても手に入れることが叶わない居場所。
目を瞑って記憶を辿れば、過去の私はいつもその言葉に捕らわれていた。