一緒に暮らそう
 順当に行けば来年の春には、二人はシリコンバレー近郊の閑静な住宅街に引っ越しているはずである。あらゆる若い未婚女性が夢見るような新婚生活がそこには待っている。エリートサラリーマンの夫の海外赴任に随行して、憧れの西海岸で優雅な専業主婦暮らしを始めるのだ。そんなバラ色の生活への切符を差し出されて、受け取らない女がいるだろうか。少し前まで廃業の危機に瀕していた、学歴も家族の後ろ盾もない三十前の女からすれば、これは奇跡のような幸せだ。
 傍から見ればそういうことになる。だが、紗恵自身には交際相手の肩書にこだわりはない。たとえ新多がブルーカラーの階層に属していたとしても、彼女は彼を愛していたはずだ。どんな職業に就いていたとしても、一生懸命仕事をする人だったら良いと彼女は思っている。真冬の惣菜屋に来店した客が、たまたま一流企業のエリート研究員だっただけだ。最初は彼の素性を知らずに、彼に惹かれていったのだ。新多の方も、地元で広まっていた紗恵に対する誹謗中傷を気にせずに、彼女のことを信じてくれた。
 これまで深めてきた絆があるからこそ、互いの存在は得難いものなのである。相手を手放してしまったら、もう二度とこれほどまでに愛せる対象と知り合うことはないだろうと思っている。
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