Romansia
次の日。あたしが空腹に耐えかねて山を下りると、港へ向かう大通りは大勢の人々で賑わっていた。港の収穫祭のようなものだろうか。

「君……」

あたしが橋のたもとで肘をついて、夜店の灯りに煌めく水面を、見るともなしに眺めていると、聞き覚えのある声がかかった。

「あら」

振り返りざまにくすりと笑うと、男のほうも優しく笑いかえしてきた。

夏の夜にふさわしい、紺色の着流し。

懐かしい、薫りがした。

「その節は、どうも」

あたしがしなやかに腰を折り、お辞儀をすると、男は困ったように笑った。

「もうお忘れ?あたくし、貴方様に道すがら、ご親切をいただいた者ですのに。まだ一週間も経っていませんのよ」

「はは。それなら僕は、逃がした魚の一匹一匹を、覚えておかねばなるまいね」

「漁師で、いらっしゃるの」

「ええ、まあ。この湾の向かいの村で、細々とながら営んでおります。自分1人、なんとか食っていくくらいの稼ぎしかありませんが」

「ふふ、充分じゃあありませんこと」

眼下を流れる広い川の、土手に揺れる柳の葉を見つめながら、あたしはなぜか安堵していた。

「貴女は、この村の方ですか?」

村女たちの鈴やかな声や、囃し太鼓や笛の音が、靄のように霞んだ。

それに反して、河の先に垣間見える黒い海の静けさに、あたしの心は同調しているかのようだった。

「そうね……。あの山の、向こうに」

そして男は、ごく自然に、こう尋ねた。

「貴女もお1人ですか」

予期せぬ問いだった。
ふっ、とため息をつきながら、遠く水平線のほうへ目を細めて、あたしは笑った。

「そうね、生まれたときから、1人なのよ」
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