12年目の恋物語
「なんで走らないの?」
「かけっこ、楽しいよ!」
「ハルちゃんも走れよ」
先生が、ちょうどいないときだった。
春の運動会のための練習。
入ったばかりの幼稚園。
3月に、4歳になったばかりの小さなわたし。
できたての、同じクラスのお友だちと一緒に、体操服を着て、外に出た。
それだけでも十分、楽しくてワクワクしていた。
その上、先生はかけっこのゴールテープまで持たせてくれた。
「ハルちゃん、一緒に走ろう!」
……困ったなぁ。
陽菜は、走っちゃダメよ。
お友だちが元気に走ってるからって、陽菜は絶対に、真似しちゃダメよ。
お約束してね。
息ができなくなって、心臓が痛くなって、大変なことになるからね。
ママの声が、脳裏に浮かんでは消える。
「ハルちゃん!」
お友だちは、じれったくて仕方ないというように、大きな声で、わたしを呼んだ。
ふと、空を見上げると、とっても青く澄んでいた。
白い雲が2つだけ、ぽっかりと浮かんでいた。
「ほら!」
あ。
声を上げる間もなく、ゴールテープはシュッと手のひらからすり抜け、男の子の手に移った。
テープのなくなった手を開いて、手のひらを見る。
先生、持っててねって言ったのに。
「ほら、来いよ」
たったった、と足音が遠ざかったと思ったら、遠くから、明るい声。
前を見ると、少し離れたところに、男の子が二人でゴールテープを持って、立っていた。
その向こうに、鉄棒と滑り台が見えた。
「ハルちゃん!」
鉄棒と滑り台の上には、やっぱり青い空。
どこまでも澄んだ青い空。
ママの「ダメ!」って言う声が、聞こえた気がした。
でも、気がついたら、
「うん!」
って、元気に応えてた。
なんだか、走れるような気がしたんだ。
みんなが、はるなにもできるよって、言ってるような気がして。
そうして、わたしは大きく息を吸うと、生まれて初めて、走り出した。