猫と宝石トリロジー①サファイアの真実
「歩いてくればよかった」
美桜はタクシーを降りながら土地勘のない自分に苦笑いした。
花菱デパートの本社はお店から2ブロック離れた所だった。
美桜は顔見知りに会わないように、用心深く長い髪で顔を隠した。
「お約束はしていないんですけれど」
歳は自分と変わらなさそうな、可愛らしい顔立ちの巻き髪の受付嬢は、綺麗にネイルされた指で名刺を受け取りながら丁寧にお辞儀をして迎えてくれた。
「企画開発本部の室長さん、榊 絢士さんがご在席なら、少しお時間を頂きたいのですが」
彼の名前を言った途端に、彼女の表情が険しくなり態度が変わった。
その昔『あなたの彼の事でお話が』と、会いに来た女性に私もこんな顔をした気がする。
美桜は顔をしかめた。
あーどうして思い出したくない事ほど鮮明に覚えているのかしら。
「榊はお約束がない方とはちょっと……」
ほら、やっぱりね。
まるで恋敵のような目で私を見ている。
あーもう!!
電話してから来るべきだった。
思い立ったらすぐ行動してしまう癖は悪いことではないって東堂のおじさまは言ってくれるけれど、兄さん達には渋い顔をされる。
やっぱり直した方がよさそうだわ。
大丈夫、そういう関係じゃないからという意味を込めて、美桜は出来るだけ丁寧な態度でお願いをする。
せっかく勇気を出してここまで来たのに、
出直すなんて嫌よ。
「ええ、よくわかっています。お取次ぎだけでもしていただけませか?」
「失礼ですが、榊とはどういったご関係でしょうか?」
しげしげと美桜の名刺を見ながら言われて、
深いため息をつきそうになるのをぐっと堪えた。
「仕事上の関係です」
信じられないという、むすっとした顔の彼女と
出直す素振りを見せない私との間で戸惑っていた後輩とおぼしきもう一人の受付嬢が、思い切った顔で口を開いた。
「あの……榊がいるかわかりませんが…、」
受話器を上げようとすると、余計な事をするなとばかりに巻き髪の女性がきつい視線で彼女を睨んだ。
チャンスは決して逃さないわ!
後輩らしき女性に向かって、極上の笑顔で丁寧にお願いをする。
「ええ、いらっしゃらなければ改めてお約束してから出直します」
老若男女この笑顔が効果を発揮しなかった事は
これまで一度もない
どんな退屈なパーティだって、これで乗り切っているのだから。
案の定、彼女は無意識に笑顔を返しなが受話器を上げた。
「少々お待ちください」
「ありがとう」
巻き毛の女性もそれ以上は止めることはしなかったので、美桜は彼女にも同じ笑みをして見せた。