猫と宝石トリロジー①サファイアの真実
忘れた過去
絢士は自分のオフィスに戻ると、
椅子の背もたれに寄りかかって目を閉じた。
不愉快。
全くもって不愉快。
契約寸前までいっていながら、まさか社長からOKが出ていなかったなんて。
課長はどういう話の進め方をしていたんだ?
リニューアルした店舗の目玉のひとつになるはずだった店がご破算になった。
その代わりとなる新たな出店先を今から見つけなければならない。
ああ、不愉快だ。
深いため息をつき、勢いをつけて椅子から起き上がると受付から内線が鳴った。
「……様がお見えです」
「え?誰?」
絢士はもう一度、聞き返した。
「お約束はされていないようですが、麻生様とおっしゃる女性が受付にお見えです」
「あそう?」
心当たりのない名前に、絢士は明らかに不機嫌とわかる声で聞き返した。
「出直していただくようにいいますか?」
電話の向こうで相手がひるんでいるのがわかる。
うんざりしながら、鞄から名刺ファイルを出してめくっていると、受話器の向こうから叫ぶ声が聞こえてきた。
「先週、お店に来ていただいた……」
「困ります!!」
その声に、絢士の脳裏にクリスタルのチシャ猫と美しい黒髪の女性が浮かんだ。
彼女を忘れるはずがない。
何とか都合をつけて、今週中に逢いに行きたいと思っていたのに、彼女の方から来てくれるとはラッキーだ。
「すぐに行くのでロビーにご案内して」
絢士は受話器を置くと、デスクをそのままにしてエレベーターに飛び乗った。
あの時の彼女の態度を思い出す限り、ここに会いに来てしまうほど自分が魅力的だったというのはありえないよな。
下っていく数字を見つめながら絢士は自然と渋い顔をした。
あの絵のことか……
*****
「あちらでお待ちください」
不満そうに言う受付嬢に丁寧にお辞儀をして、美桜は最近インテリア雑誌でよくみかけるデザイナーの応接セットに腰掛けた。
あら、座り心地は悪くないじゃない。
でも何故ロビーにここソファーを置いたのかしら?
目の前のテーブルにも顔をしかめる。
機能的でも特別なデザイン性でもないこのテーブルで商談をするのね。
ええ、そうね。普通って大事。
美桜がそう結論付けたところで、エレベーターから彼が走って来た。
「積極的なんだな」
絢士はソファーに腰掛けながら、冗談半分のつもりで言った。
「えっ?」
美桜は初め何のことかわからずにキョトンとしていたが、すぐに言葉の意味を理解して弾かれたように立ち上がった。
「違います!」
そうよ、彼は名刺を差し出してナンパされたと言っていたんだわ。
「おや?それじゃどんなご用件でわざわざ?」
絢士は『まぁまぁ座って』と笑いながら彼女の肩を押した。