猫と宝石トリロジー①サファイアの真実
走り出した恋
お腹をいっぱいにして、アカシヤを出た二人はタクシーの拾える大通りへ向かっていた。
「どうかしら?元祖を認める?」
元祖かどうかはわからないが、店内に入りカツカレーの甘口、中辛、辛口としか書かれていないメニューを見たときに、絢士はこの店が本物だとわかった。
花菱に出展要請をしてみようと頭にメモした。
もしかしたら、この通りは宝の宝庫かもしれない。
新たな宝探しを思うと絢士の心は躍った。
「返す言葉もありません」
「よろしくてよ」
絢士はすましたように言う彼女の頬を笑って軽くつまんだ。
「今度はあそこの本場四川料理って書いてある店に行ってみたいな。辛さが本場かどうか確かめてやる」
「あなたって人は……」
あきれつつも、美桜は心の底から笑った。
こんなに楽しい気持ちになったのはいつぶりかしら?
カレーは美味しかったし、打ち解けた彼の話も楽しかった。
それに、美桜の知り合いというだけでなく彼を気に入った店主のおじさんが、今日はお代いらないと言い張って、彼を困らせたのも何だか嬉しかった。
人通りが少ない静かな通りを歩きながら、美桜はとても満ち足りた気分だった。
榊 絢士が魅力的なのは、外見だけではないようだわ。
今日の事はデートだとは思わないけれど、
確かめたいというならば、【四川飯店 宝林】に一緒に行ってあげてもいいと思う。
もう!どうしよう!
私は彼に惹かれ始めているわ
私がASOの人間と知ったらどう思うかしら?
野心が芽生える?
それとも離れていく?
そのどちらかでしかないのなら後者であって欲しい
そんな事を考えながら彼の横をゆっくり歩いていると、
心地よい夜風に乗って花の香りがした。
通りの向こうで、ワゴンの花売りが店を仕舞おうとしているのが見える。
絢士に企みのある視線を向けられて美桜は小首を傾げた。
「さっきのお礼に、あの花を買ったら次の約束ができる?」
「お礼って私は何も……」
彼は返事を聞く前に花屋へ走って行き、売れ残っていた色とりどりのガーベラをすべて買ってしまった。
閉店間際の気前のいい客に店主が大喜びしている。
「薔薇は売り切れだったよ」
照れ隠しのように言って差し出された花束を黙って受け取って顔を埋める。
あなたは私が誰なのか知らないのよ!
ねえ、その意味がわかる?
あからさまな財産目当てや仕事上の打算ではなく、ただのアンティーク店の私に花を贈ってくれたの
花束に顔を埋めていると髪がそっと撫でられた。
「そんなに感動されるとは思わなかったな」
見上げると、照れて困ったような顔。
そんな顔もまた魅力的だわ。
「これまでも女性に花を贈るべきだったな、そしたら色々もっと上手くいったのかも」
「嘘、あなたは女性に花を贈るのに慣れている人よ」
「それは嬉しくない誤解だな」
「そう?」
「そうだ、君は俺を誤解しているよ、あの受付嬢が何て言ったか知らないが、いいかい、彼女とは……」
美桜は胸のドキドキがおさまらないから、何かもう少し憎まれ口を言いたかったけれど、必死に言い訳しようとする彼が可愛くて素直な気持ちになる。
「ありがとう」
「そう、ありがとう……えっ?!」
美桜はとても自然な動きで彼の胸に額をつけた。
「はあ……」
絢士が大きくため息をひとつ付いて、花を持ったままの美桜の身体に腕が回される。
「どうしてため息?」
込み上げてくるくすくす笑いを押さえて聞くと頭の上に顎が乗せられた。
「何となくわかっていたんだ、君には振り回されるだろうなって」
「振り回してなんかないです」
「そうだろうとも」
美桜は戸惑いながらも、恋する甘い感情が全身をゆっくりと駆け巡るのを感じ、花束を落として恐る恐る彼の腰に腕をまわした。