猫と宝石トリロジー①サファイアの真実
「こんな事をしたら俺を殴る男がいる?」
絢士は細い身体をぎゅっと抱きしめながら、こんなにも急速に誰かを欲しいと感じる自分に戸惑っていた。
「もちろん、いるわ」
くすくす笑う声すらその心地よさに甘い痺れを感じる。
「お父さんになら、殴られる覚悟はあるよ」
ビクッと肩が震えて、彼女が腕から離れた。
少し困ったような寂しい笑顔を向けられて、想像できる返事に胸が傷んだ。
「父はいないわ、中学生の時に母と一緒に飛行機事故で亡くなったの」
「ごめん」
「いいのよ、知らなかったんですもの。それにあなたを殴る人はちゃんといるのよ」
そう言って瞳を閉じた彼女の穏やかな微笑みに、あり得ないほどの落胆を感じた。
そうだよな、
彼女のような人を周りが放っておくわけないか
「そうか。もし同じ土俵に上げてくれるなら……」
口から出る見苦しい言葉に苦笑いして途中で止めると、
彼女がまたくすくす笑いだした。
「頑固な兄が二人よ。一人は必要以上に過保護で、もう一人は少し……何て言うか、気難しいの。でも二人とも武道の有段者よ」
馬鹿みたいにわかりやすいほど気持ちが浮上した。
あーちくしょう!
駆け引きが得意なんて、彼女を前にしたら二度と言えないな。
「俺も段を持っている、といいたいところだが、嘘はつけないな。今からジムに通う手続きに付き合ってくれ」
「そんな冗談を……」
絢士の瞳を見た美桜は笑いを引っ込めた。
「付き合っている男はいないんだよな?」
「いないわ」
「俺と付き合おう」
「えっ?!」
「ダメ?」
「ダメではないけれど……」
彼女の少し困った顔の上目遣いはとんでもない破壊力だ
絢士の頭の中の声が、今すぐ彼女をどこかホテルへ連れて行き自分のものにしろ!と言っている。
それと同時に心の中の別の声が慌てて進めるな!と叫んでいる。
自分の中の不協和音にどうにかなりそうで、絢士はぐっと奥歯を噛み締めた。
「今日はやめておこう……」
心の中の声が身も心も理性が勝利を収めると、落ちていた花束を拾い、彼女の手をとって大通りへ向かった。