猫と宝石トリロジー①サファイアの真実
「母さんの絵のことなんだけど」
「綾乃の絵?」
みゆきの眉間に深い皺が寄った。
嫌な予感がする。
絢士は葬儀以来、母、綾乃の話を避けてきた。
「上の俺の部屋にあるだろ、猫のやつ」
「ねこ……」
猫の絵と言われて、みゆきが思い浮かぶのは一枚しかない。
「そう、一番大きい風景画」
やっぱりあの絵……ってことは、もしかして……
「あれさ、他にもあるって知ってた?」
驚いてみゆきは持っていたコップを落としてしまった。
「みゆきさん!!大丈夫?」
「いいっ!!」
慌てて駆け寄ろうとする絢士に、みゆきは怒鳴ってそれを制止した。
「ごめん、大丈夫だから」
破片を拾う手が震えない様にしても、内心の動揺は絢士には気づかれているはずだ。
「それで?他にもあるってどうして?」
「みゆきさん、俺さ今日は覚悟を決めて来た。
だから知ってること…、俺が二十歳の時に言おうとしてた事を話して欲しい」
ほらね、やっぱり……
みゆきは何も言わずカウンターから出てくると、いつもメニューを書いている紙に【本日都合により休業】と筆で書いた。
絢士は無言でそれを眺めた。
いつ見ても達筆な字だ。
子供の頃の持ち物はすべてあのきちんとした字で名前が書かれていた。
それだけじゃない。
みゆきさんは何でも上手だったのを今さら絢士は思い出した。
料理はもちろん、お裁縫も。
数学の宿題も途中挫折したけどピアノだってわからない所はみゆきさんに聞けば教えてもらえた。
「今日は泊まっていきなさい」
入り口を施錠して戻ってきたみゆきは、お茶のペットボトルをしまって変わりにビール瓶を出した。
「飲まなきゃ聞けない話?」
「いいから」
冗談半分のつもりだったのに、みゆきさんの顔が笑ってないから、絢士はグラスに注いだビールをぐいっと煽った。
思っていた以上の覚悟をしなければならないのだ。
今日は逃げないと決めたじゃないか。
絢士は後悔と怯えを無理矢理 胸に押し込めた。
「食材が無駄になるのは嫌だから食べてちょうだい」
みゆきは無言で煮物を作りながらアジをさばきだした。
夕食が終わるまでは何も話さないって事だ。
表情を見せないようにうつむいて手元に集中していても、みゆきが感情を隠しているのが絢士にはわかった。
もしかしたら、二十歳の時は俺が拒否するのを想定していたのかも知れない。
あの時のみゆきさんの顔はどこかホッとしていたような気がする。
あの絵に何があるんだろう?
いや、それ以上に母さんに何があるんだ?
食べなさいと出された夕飯は、懐かしい実家の味なはずなのに、今日は味がわからない。
これを食べ終わったら話が始まる……
『ごちそうさま』と顔を上げた時、みゆきさんが閉じていた瞳を開けた。