君がいるから


 その刹那――時間(とき)が止まったかのような錯覚に陥る。目に映る、口腔から赤い液体が吐き出され。映るもの全てがゆっくりと流れていくかのように、体が前へと重力に逆らわず落ちていく。

 ドサッ

 重みのある嫌な音。横たわる彼の顔が倒れた瞬間、私へと向けられる。目が薄く開かれ、悲しげに色を失った瞳が私を――。

「ぃ……いやーーー!!」

 ――震える足で地を蹴り、彼の元へと駆ける。でも、どんなに足を進めても、距離は一向に縮まらないのは、何故。

「 アッシュさん! やだ、こんなのっ。どうして……お願いだから……」

 駆けて息は上がり、所々で石に躓き転びながら、何で、どうして――そればかりを頭の中で繰り返し叫び続ける。手を伸ばし、ようやく時間が回り始めたかのようにアッシュさんの姿が近づき、あと少しという所に――。

 ――あきな!!――

 突如、背後から名前を叫び呼ばれ足がその場で止まる。

 ――あきな――

 今度は弱々しく、今にも消えてしまいそうな声音。

(この声は、まさか――)

 心臓の音が異様に煩く響く。この世界に来て、いつも傍にいてくれて、いつも支えて包み込んでくれてた柔らかな声の持ち主。

 ――あ……き――

(違う。きっと違う)

 ――あ……きな……にげ――

(やだ、やだ、やだ、違う)

 ドサッ

 ――あ……き――

(……この声はあの人じゃない。あの人じゃない――)

 見てはいけない――頭の片隅で思ってる自分がいる。けれど、頭と体は真逆の行動を選び、ゆっくりとその方へ振り返る。




 全身の血の気が失われていくような感覚が襲う。靴底で水分を含んだ砂をずる。

(違う――これは全てが夢だ)

 もう一歩後ずさり、瞳に映る光景を否定するかのように、頭が勝手に左右に振れ動く――。至る箇所から流れ出る鮮血で、金の髪が赤に染まる様。その背には血に濡れる刃が突き刺さって。

「ア……ディ……ルさん」

 名を呼んだ途端、肺へ過剰に息を吸い込み始め体もそれに反応し、苦しさと共に視界が滲む。

 ――ぁ……な――

 砂利土の上で僅かに動く指先、私の名を呼ぶ青白く変色した唇。そして――その言葉を最後に、生命が断たれた亡骸へと化す。


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