君がいるから
「アディル君。心配しなくても今日は大人しく帰るよ」
「10数える間に離れなければ――お前の首が飛ぶぞ」
本当にあの優しいアディルさんのものかと、疑ってしまう程の低い声。私が目を見張り動けずにいる目の前で、グッと更に男の肌に押し付けられる剣の刃。この人がアディルさんの言葉を呑まなければ、確実に彼の命はない。そんな光景が今――私の目と鼻の先で起こってる現実に頭がついていかない。
「いいの? この子の目の前でそんな事しちゃって」
男は私の背後にいるアディルさんを見ないまま、銀の瞳は私に向けたままそう口にする。
「お前が離れればいいだけの話だ」
「分かったよ。この綺麗な瞳に汚いモノは映させたくないよね~って、俺が言える言葉じゃないっか」
「1、2、3」
「けど、その前に一つだけ」
数を数え始めているアディルさんの声に動じることなく、男はスッと私から手を離したかと思えば、今度は首筋を指先でなぞった。
「――やっ!」
ゾクッと体が反応し震える。突然の行動と男の指先から感じた冷たさと怖さに――。
「俺の名前は――ハウィー、覚えておいてね。お姫様」
(ハ……ウィー……この男の名)
「今度は必ず君のも教えてよね。じゃあ、また」
その言葉を最後に、指先が離れていき共に静かに後へ数歩下がった男は姿を消した――。目の錯覚かと、空間に溶けて消えてしまった男の姿を見回し探してみたものの、男の姿はもう何処にもない。
「奴らが撤退していったぞ!!」
「重傷者を急いで、シェヌ爺の元に運べ!!」
「おいっ! この瓦礫の下にまだ生存者がいる!! 誰か手を貸してくれっ」
この国の騎士さん達だろう声が、辺りに響いて耳に届いてきた。本当にあの人達はいなくなったんだと、肩の力が一気に抜けた――刹那。背後からギュッと力強い腕に、体を包み込まれ思わず息を呑む。
肩に重みを感じて視線をその方へ向けると、さらり揺れる金の髪。胸元にある腕にそっと手を添えた途端、ぴくりと微かに動いたのを感じ取った。
「あ……きな」
私の名が甘い声音で囁かれ、首筋に温かい吐息がかかる。
「あきな、あきな、あ……きな」
幾度も呼ぶ声がゆっくりと体と心に染み込んで行き、私を包み込む腕の力が強くなっていく。少し苦しさを感じたけれど、その苦しさから今は離れたくないとそう思った。
Ⅸ.銀髪 完