君がいるから
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私は中学に入ってからバスケ部に入っていて、中学3年の初夏。予選リーグに向けてチームで一丸となって練習に励んでいた。私を除いて――。
その頃の私は、チームメイトから嫌がられる存在だった。理由は小さな事の重なりから起きた事。周りからしたら、大したことでも最早笑い話にでもなるのかもしれない、ほんの小さなズレと思春期独特の感情。
理由の一つは、中学2年の秋に母さんが亡くなった事。だけど、少し前からズレ始めていた。それは、母さんが体調を悪くして入退院を繰り返し始めた頃から。その頃、父さんは仕事に忙しく、コウキは小学生。退院してきた母さんを無理させない為に、買い物や夕飯の支度、洗濯、掃除を進んで私は手伝い始め、それに加え、テストが近づくと机に向かう日々。そうした生活の中で、私の中からバスケという3文字は薄れてた。そうして時間は流れ、母さんの体調が安定し始めて、数ヶ月ぶりに母さんの進めもあって練習に参加し汗を流した。チームメイトの何人かは、私が抜けた事でそれに伴い新たに結束し始めていて、また空いた私のポジションを競い合っていたから、そこにすんなりと戻ってきた事を邪魔に思っていたのかもしれない。それに加え、試合にもスタメンで出場させてもらえた事も。
私は気分を良くしていた。スタメンで出させてもらえない先輩よりも、練習になかなか参加出来ない私を選んで貰えたことに。それは、先輩や毎日くたくたになりながら練習に励んでいたチームメイトは面白くないし、納得出来ないのは最もで……。それからだった、練習中も試合中もボールが回ってこなくなったのは――。
日々が流れていき、監督は私たちの雰囲気が明らかに以前と違うことに勘づき、監督から私は問われたけれど、私は何でもないと頭を左右に振った。その光景を、一番に私が邪魔だと思っていただろう同級生が見ていたらしく、先輩後輩を引き連れ監督に好かれているからスタメンで出られるんだと、挙げ句の果てには唯一男子の中で一番仲が良かった秋山との事も罵られた。それでも、私を励ましてくれるチームメイトもいてくれて、部活を辞めることはしなかった。
一方では母さんの体調は良くなったんだと思っていたけれど病状は思った以上に悪く、日に日に起き上がることさえも難しくなって、とうとう長期入院をすることに。父さんからは医者からそう長くはないと告げられた事を、聴かされた。ショックは大きくて動揺していたけれど、母さんの前では笑顔を消すことはしないように努めた。母さんは自分の元気の薬は子供達の笑顔を見ることだと、小さい頃からよく言われていたから。