君がいるから
「何の力も持たぬ只の人間が、我に敵うものか」
再び私に一歩一歩、靴音を立てながら距離を縮めてくる影。私は合わせて後ずさり距離を取ろうと試みる。
月の光に照らされた影が真っ白な服を着ていること、背には身長よりも長いマントが地面に着いていることが分かった。
そして胸元が見え始め、シャツが肌けシルバーネックレスの十字架が月の光によって妖しく光る。顔はまだよく見えないけれど、次第に月の光で顎から徐々に見え始め、影の正体が男性だとようやく気づく――。
「来ないで!!」
震える声で発した言葉。
「…………」
目の前の人物の口端が微かに上がり、一瞬のうちに私の目前に移動していた。恐らく私よりも20センチ以上も差があるだろう男の長身――。
私は瞬時に男から離れようとしたけれど、男の手が私の顎に添えられ息がかかるほどの距離に男の顔があった。そして男の顔を今度ははっきりと瞳に映る。
前後共に髪が長く、右目は黒い髪に覆われ、唯一見える左目は切れ長の目元に漆黒の瞳。でもそれは――王様のような瞳じゃない。その瞳には……温かみがまるでない闇の色――。
「我を見るその瞳――」
「やっ離して!」
男の手は生きている人の温かみなどまったくない氷のように冷たく、全身に鳥肌が立つ。なおも男との距離はどんどん狭まっていく――。男の瞳と合っては駄目だという直感に、男の瞳から逸らす為に力強く瞼を閉ざした――。
チャキッ
耳元に聞こえた音と共に、男の手の感触が無くなる。次に何が起こるか怖く、瞼が上がらない。
「シュヴァルツ」
聞き覚えのある声にハッと目を開け、男からゆっくり距離を取ると声の主の姿が。
男の背後に立ち、大きくて重々しい剣を軽々と持ち上げて、男の首に鋭い剣先を当てている――王様の姿があった。
男の顔を歪めながら睨みつけるシャルネイ国国王であるジン。王様とは対照的に、不敵に口端をあげているシュヴァルツと呼ばれた男。その2人の周りには、何処から流れて来たのか風が微かに吹き始めた――。
私は知らなかった。これから始まる戦いがあることを。
惨劇の過去――残酷な真実。辿っていかなければならない悲しい運命を――。
Ⅲ.漆黒 完