くだらない短編集
空を飛ぶ
過去で形成された身体に、未来はほんの少し痒かった。光は痛覚を刺激し、かと言って闇が鎮痛剤に成る訳ではない。矛盾しているとは理性が熟知していたが、本能は口を揃えて綺麗事を吐露している。
(何と悲哀な物語の終焉だろう)
■空を飛ぶ
「世界はきれいなんだよ!」
子供宛らだ。男は病室で、隣のベッドに横になる女性を見て当初はそう思った。変な女性だった。言動はまるで綺麗事であるし、感情の起伏も激しい。やせ細った躯には、何時も医療器具が巻き付いていた。
けれど、瞳は万物を赦す優しい色をしていた。病で苦しむ子供達や、老人に、彼女は光を与えていた。決して美しい女性ではなかったし、寧ろ顔に至っては平凡以下だと言っても過言では無かった。けれど、うつくしかった。彼女の周囲には必ず人が居た。病室は彼女が居るだけで、湿布や薬物の匂いではなく芳香に包まれたものだ。彼女は患者の未来であり、希望だった。
「ねえ、私は空を飛べると思う?」
「無理だよ」
ある晴れの日。突然の質問に男が真面目に応えると、彼女は医療器具に巻き付かれた体を震わせて、笑った。
「でも、世界を逆さまにしちゃえたら、私達は空までいけるよ」
女は、子供の様に笑ってみせた。だからかもしれない。彼女は飛べるんじゃないかと、本気で思った物だった。
けれど、まあ、彼女はぽっくりと死んでしまった。飛び降り自殺だった。光が消失するのは呆気ない物で。多くの人は悲しんだ。戻ってきてくれ、と誰かが泣いていた。白い服に身を包んだ彼女の躯にはもう、生命維持装置は巻き付いて居なかった。翼を束縛する鎖は解き放たれた。飛べるよ、と男は微笑む。
きっと、彼女は空を飛んだのだ。
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