くだらない短編集
空気を愛するあの娘の話
僕が思いを寄せる彼女は、少々思考が可笑しいのです。
■空気を愛するあの娘の話
趣味、というのは、その物や行為に恋心を抱く事と酷似している。いつも目で追って、時間を持て余す度にそのことばかり考えてしまうのだ。とはいえ、人間は子孫を残さなければならないので、普通は自分と異形のものが気になるからといって“これは恋”何ぞという認識には至らない。精々、趣味、に落ち着くのだ。
そうだ、その筈なのだ。
「ねえねえ、どう思う?」
彼女は僕を見ながら、そう言った。否、僕というよりも僕と彼女の間に存在するそれを見ながら、だろう。
「空気が最近、そっけないの」
趣味を“これは恋”と認識する人間程、面倒なものはない。そして、彼女はその面倒な種類の人間に当てはまった。彼女は、空気を愛していた。擬人化を妄想して、ではなく、空気そのものを愛していた。
「僕にどう思うって聞かれても。空気はいつもそっけないでしょ」
「そんなことないわ」恋人を馬鹿にされた様な彼女の反応に、僕は首を竦めた。空気相手に嫉妬するのは馬鹿馬鹿しいとも思うが、嫉妬すべき相手が空気しかいないのだからどうしようもない。
「空気は優しいのよ。まあ、私以外のひとにも平等に優しいのは、ちょっと悔しいけどね」
空気が偏愛何ぞすれば、この世界は滅亡するのだろう。
「あーあ、空気に触れたいなあ」
彼女が愛おしげに僕を見つめる。僕と彼女の間の、彼を見つめる。僕は触れられるよ、なんて前に言ったら、当たり前よと言われたのを思い出す。彼女が何気なく右手を伸ばした。此方に向かって伸ばされたので、僕は神経を尖らせる。けれどその手は、矢張り、二人の間の空気に伸ばされて。辛抱堪らなくなって、僕は彼女の手を掴もうと、右手を動かした。彼女の開かれた掌が、徐々に拳へと変わっていく。
そうして、彼女がぎゅうと手を握り締めたのが見えた。そのとき、少し音が聞こえたのだけれど、多分に、気のせいなのだ。僕は右手を、元の位置に戻した。彼女の拳から、もう一度、音が聞こえた。
ぐちゃり。