くだらない短編集
名前を呼んではいけないあのこと




■青春的哲学



「あのさ、なんで同性に恋してはならないんですか。わるいことなんですか」

放課後の教室で、青年、松宮はそう口にした。若い頃というのは哲学の季節だ。おおいに悩めよ、若者達よ、だ。しかし、そのような質問は期待してはいなかった、とは女教師。

「何でですか、先生」

詰め襟の制服を着た中学生の、純度の高い瞳に見つめられて、彼女は口籠もる。生死や人間の存在意義についての質問なら当たり障りの無い答えを用意出来る自信があったものの、まさか同性間の恋愛についてだなんて。

「えーと、松宮くん。それは多分ね、えーと、」

「セックス出来ないからですか」中学生の、その生々しい単語に彼女は噎せる。近頃の中学生が援交や麻薬までしてしまうほどに“ませて”いることは知っていたが、分かりたくはなかった。

「せ、あのね、そういうことは出来ないこともないのよ。だから、理由はね、何というか」

廊下を生徒達が駆ける足音がして、彼女は肩を強張らせる。禁忌を犯している様な錯覚に僅かな眩暈がした。普段は目立った生徒では無い松宮は、顔も至って平凡である。子供と大人の中間地点であるが故の、多少のアンバランスさも、この時期特有の好ましいものだ。


「先生は性的差別をするつもりはないから、別に良いと思うわよ。個性だし、ね」当たり障りのない答えを探して、言葉を紡ぐ。しかし、松宮は不満そうな表情を零した。

「先生の本心が聞きたいんです」

「ん、あー」


どうしようかと頭を掻く。青年が性同一障害である節はなかった筈だが、と思い、溜め息を吐いた。こういった手の話題に、世間は冷徹な目を向け易いのだ。障害、という名前を付ける程に、隔離して安心したがる。

「私は別に、なんとも思わないけどなー。うん、年老いたら、女も男もホルモンに差はないらしいし」

「そうですか」青年が視線を動かす。思考しているようにも、何も考えていないかのようにも見える。

「でもね、世間は嫌いなのよ。政府に洗脳されちゃうの、同性愛は気持ち悪いって。子供の頃から徐々に蓄積されるように政府が洗脳するの」

「なぜですか」

「何故政府がそんなことするのか、それはね、子供が産まれなきゃ、困るからよ。金がまわらなくなるの。だからね、もし将来に、子供を作れる機械が出来て、命や性に対する倫理観も大幅に変わってきたら、同性愛も、何もないんじゃないかな」

希望を抱いた眼で見つめられて、彼女は首を竦める。彼女自身、恋愛というものが嫌いであるので、同性愛にも異性愛にも肯定するには抵抗があった。しかし、これ以上は何も言うまい。矢張り同性愛というのは、現代では規格外の産物なのだ。

昔に女性が、差別されていたのと同じことだ。とすると、今、同性愛を差別していることが夢物語の様に語られるのだと思うと、少し可笑しい気もする。


「頑張りたまえ、松宮くんよ」

芝居掛かった口調で肩に手を置いて頷けば、青年は、照れたようにして、教室内の一つの机に視線を注いだ。女教師は見なかったことにして、若いって面倒だな、とぼんやりと思った。



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