くだらない短編集
切り取ってよ




僕は写真機を構える。春、未だ少し肌寒い季節に海辺を訪問したことに意義はなかった。ピントか合わず、曖昧になる世界。レンズを調節して視界をクリアにする。カメラ越しに見えたのは青く澄んだ海と、薄青の穹嶐。星を散りばめたかのような砂浜。海原では波が、まるで白兎のように跳ねている。僕は気分を高揚させた。広大な自然の、何と美しきこと。
シャッターを切る。人差し指に力を込めて、世界を掌の中に切り取っていく。機械音が静かな海辺に何度も響いた。歩いて、撮る。撮って、歩く。夢中になって世界を箱の中に納める。
気付けば、いつのまにか海の中に足を踏み入れていた。肌を刺すような痛みが脚に染みる。履いていたジーンズも、スニーカーもずぶ濡れになっていた。それでも、構わず写真を撮り続ける。叫びだしたい程の喜びが胸中を占領していた。

すると、そのときである。
冷たい衝撃が背中に走った。水が背中に掛けられたらしい。驚きに、カメラを目線の高さから下ろして僕は振り向く。

「楽しいか?」

同じ大学の同級生である男が、波打ち際で悪戯を企む子供のような顔をして立っていた。溜め息を吐く。
この男は同級生ではあるが、浪人をしたために一つ年上なのだ。だからなのだろうか、大人びた雰囲気を持っていた。だのに、稀にこういうことをする。しかも写真機を持っているときに限って、である。

「いつもやめなさいと言っているでしょう」
「だって構ってくれないだろう。せっかく海まで来ているというのに」

不平不満を漏らす子供のように、唇を尖らせる。

「付いて来たのはあなただ」

正論を唱えれば、彼はあっさりと引き下がった。不満を喉に押し込んだような顔をしているから、何れ言葉を嘔吐せざるを得ないだろうが。
僕は彼を放っておいて、再び、写真機を構える。海の方向でなくとも、景色は美しかった。複雑な形の堤防。奥に聳える小山の連なり。足跡が二つ。シャッターを切る。レンズの向こう側の世界は、絵画のように完成されていた。
夢中になってシャッターを切っているうちに、不意にレンズが彼を捉えた。手を止めて、彼を写真機越しに見つめる。彼の唇が、動いた。

「楽しいか」

波の音。僕は、ああ、と力強く返事をした。彼は満足げに微笑む。そうして後に、目を画策に輝かせる。

「けれど、私は楽しくないよ」

再び水飛沫が身体を襲った。季節が季節なので、心臓が止まりそうになる。彼は海の中に手を突っ込んで海水をこちらに掛けてくる。レンズに飛沫が着いた。レンズの中の世界が揺れる。やめろ、と怒鳴ろうとして。
彼がカメラの奥で笑っていたのが見えた。とても楽しそうに、笑っていた。僕の背中に、形容し難い衝動が駆け抜けた。それはどこか光に似ていた。その一瞬の光を、切り取りたいと思った。
磯の香り。波の音。濡れたジーンズ。冷たくなった足のつま先。声、彼の。靡く髪。水を掬う掌。笑顔。高ぶる感情。写真機何ぞでは納めきれない。光が眩しい。閃光のように一瞬。息が止まりそうな程の。

掌から写真機が滑り落ちる。仕返しをすべく、走り出す。腰を屈めて水を掬う。背後では写真機が水面に当たって、水飛沫をあげていた。そうして、海の中に沈んでいく。忘れ去られた景色の中に、ゆっくりと沈んでいく。



■切り取ってよ、一瞬の光を

《歌を使って小説を書こう企画、椎名》
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