くだらない短編集
絞首台から
「幻想的って、何でしょうか」
30代の男、夏井は煙草の煙を口から吐き出して嗤った。煙臭いアパートの503号室。中には男子高校生のニックと夏井の二人。煙草の亡骸は、灰皿の上に既に十数本。それらが人間ならば大量殺戮レヴェルだ。絞首台に立つ彼は何と曰うだろうか。弁解でも叫ぶだろうか。悲運に泣くだろうか。否、彼は死にたがるだろう。何せ、夏井なのだ。死刑執行官も怯えてしまうほどに、はやくはやくとせがむだろう。臆病者の彼は誰よりも死を恐れているというのに。
「特殊性に人々は惹かれるものだから」
慰めるように、ニックは夏井に言った。
「特殊?よく分かりません。その人の中では現実にそれは確かに存在している筈なのに、幻想という字で、現実から別世界へと区切られてしまう」
何がそこまで苛立たしいのか、彼は灰皿を壁に投げつけた。灰皿は床を転がり、使用済みの煙草や灰がぶちまけられる。掃除をするのは何方なのだろう、と考えるとニックは頭が痛くなった。
「普通、なのに、隔離されてしまうんです。それが怖い。私にとっては普通なのに、違うんだよって、言うんです。それは幻想なんだよって」
髪の毛をかき乱して、こわい、と彼は言った。障塞を作られて、身体と現実が区分けされる。そのことを恐れている。線引きの向こう側に置かれることを。後ろ指を指されるような感覚を。
「夏井」ニックは彼の瞳を覗き込む。
「ねえ、夏井。絞首台に立たされたら、君は何と言うの」
突飛な質問に、彼が動揺することはなかった。ただ静かに思考して、薄い唇を動かす。
「私はあなたが好きです」
動揺したのはニックの方だった。だのに夏井は、構うことなく煙草の煙を吐き出す。短くなって吸えなくなったそれの先端をテーブルに押し付けて消火した。テーブルに焦げ跡が付いても構わないらしい。
ニックは思う。また一人、夏井は殺してしまった。もうここまで来ると裁判官は逡巡の余地もなく、死刑判決を下すだろう。古めかしい木槌の音を響かせて、機械的に罪状を述べる。そうして、絞首台に立たされた臆病者の彼は。
「“それ”こそ幻想だよ、夏井」
きっと、そうは言わなかった。
■絞首台から
あなたは僕を愛さないから。