くだらない短編集
呑み込まれた魚



■呑み込まれた魚


そんな悲しいこと言わないでよ、と純真で無垢な彼女は言った。その黒い瞳を涙で濡らして、白い喉を震わせて。純度の高い水には魚が住めないというのに。彼女は清くあろうとする。ああ、皹のない滑らかな指先も、傷一つない背中も、汚したくて仕方がない。
だからなのかもしれない、私は彼女の唇に乱暴なキスをした。キス、という表現は正しくないのかもしれない。噛み付く、もしくは、皮膚と皮膚のぶつかり合いか。情もなにもない、ただの接触だ。

「ずっとひとり、綺麗なままで」

彼女の瞳が私を見つめた。純度の高い瞳の中に私が映り込む。途端に、息ができなくなった。清らかな水の中に放り込まれた魚の気分だ。

「わたしは、がまんしていたのに」

彼女の掌が、私の眼前に翳される。けれど、それは人間の手ではなかった。それは水のように透明で、空の向こう側までもを透かしていた。

「あなたがわるいのよ」

水は、魚を愛すのだから。


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