大地主と大魔女の娘
目的の湖に着いた。
湖面は静かに月光を受け止め、巨大な鏡のようだった。
月も喜ばしげに鏡を覗き込んでいる。
もうそれはそれは息を飲む美しさだった。
『森の深くの そのまた深く 森に住まう獣がおりました』
小さく言い伝えの歌を口ずさむ。
古語で。
そういえば久しぶりに歌った気がする。
森に居る時はこうしてよく歌ったのに。
地主様に仕えるようになってから、それも忘れていた。
歌いながらゆっくりと地面に腰下ろし、衣服を脱ぐ。
肌を掠める風すらも、夜の濃密な気配がする。
深い闇色を引き連れて、私を包んでくれる。
裸になる事に躊躇いはない。
だって、ここに近づける人は居ないもの。
私だけ。
衣服を脱ぎ去り、つま先を浸す。
小波が伝わって行く。
それを合図に「彼」が現れた。
頭に一角を戴き、蹄を持つ彼。
相変らず、気高く凛としている。
『久しいな。大魔女の娘』
『お久しぶりですね。----さま』
彼の名の部分だけは声には出さず、唇で形作るに留めた。
『おまえはまだ、我に真名を教える気にはならなんだか?』
そう尋ねる彼に曖昧に微笑みながら、手を差し出す。
彼もそれ以上は追及してはこず、私を湖へと導いてくれた。
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水の中は好きだ。
だって、足の不自由さをあまり感じずに済むから。
一緒に水の中の浮き加減を楽しむ。
時折りじゃれつくようにしながら、耳元で『おまえの真名を当てたら我のものだぞ?』と次々に名前を挙げられる。
『春の花(レイザン)』
『月の娘(シャルメイ)』
彼の挙げてくれる名はいつだって美しい。
そう。
私はうっかりと彼の名を当ててしまったのだ。
ならば、おまえも名乗れと言われたのだが断った。
彼は憤り、そのまま森の中を追い掛け回された。
彼にしてみたらふざけたらしかったのだが、それ以上に死に掛けた私に驚いたらしい。
それなりに反省した彼は、それ以来無茶に追い掛け回すような真似はしなくなった。
ただし条件をつけられている。
『名を当てた者の罰として、月の一番力の強い晩は我に付き合え』
それから、と一角の彼は付け足した。
『我の花嫁となるならば足を治してやってもよい』
それも断ったら、唸るように吐き捨てられた。
『ならば不具の身体に留まれ、森の娘』