孤高の魚
工藤さんからの電話を切った後、僕はただ煙草をふかしながら、何時間もキッチンで野中七海の帰りを待っていた。
玄関のドアは鍵が開いたままだったので、もしかしたら彼女は、すぐに帰って来るつもりなのではないかと思った。
けれどもただ鍵を持って行くのを忘れただけで、戻るつもりなどなかったのかもしれない。
現に、キッチンの時計が夕方の5時を回っても、彼女は戻って来なかった。
………
アパートまで迎えに来てくれた工藤さんの愛車は、煙草と埃の臭いがした。
「この近くに、歩太が気に入っていたオーガニックレストランがあるんだ。そこに行こう。今日は特別だぞ」
そう言って工藤さんは、僕に気を使って明るく笑う。
僕はその明るさにうまく応えられない。
……さっきの。
野中七海の顔が、あの、目を潤ませながら僕を睨む顔が、目の前を流れて行く見慣れた景色に混ざって蘇ってくる。
……あの、声が。
僕を突き放した声が。
低いエンジン音と一緒に耳に響いてくる。
何だか足の先から力が抜けて、僕はやっぱりただ座っている事しかできなかった。