孤高の魚


「……尚…子…?」


声に出して呼んでみる。

けれどももちろん、反応はない。


……


……帰った?
出かけた?

それはないな、と思う。


……キッチン?
お風呂?


暫く耳を澄ましていると、微かにだが、物音が聞こえてくるような気がする。


………


僕はなるべく音を立てずに立ち上がり、そっと部屋を出る。

キッチンの明かりはついておらず、さっきまで飲んでいたビールの甘い匂いが、やけに籠もっている。


湿度が高いのだ。


………


視線を落とすと、キッチンの床に一筋の光。

歩太の部屋の引き戸が、ほんの少し開いていて、そこから僅かな明かりが漏れている。


歩太の部屋にいるのか……


………


『尚子?』と口にしようとして、僕はとっさに躊躇った。

ドアの隙間から、僅かにだが、尚子の静かな吐息が、途切れ途切れに漏れてくるのだ。


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