孤高の魚
「跡形もないわね……」
寂しそうに、けれどもどこか清々したように、野中七海は呟いた。
「あの家には見覚えがあるわ……ああ、あの家にも。となりのアパートには広い駐車場があって……」
記憶を手繰り寄せる様に、彼女はゆっくりと視線を動かした。
一つ一つ、目に見える物を確かめて、かつての自分がここに居た事を確認するように。
「あの辺りに、マンションの階段があったはずよ。それから、入り口は……どこだったかしら」
曖昧な記憶を組み立てるのが精一杯で、そこに彼女の感情が追い付いていないように見えた。
ただ、ぼんやりと……
いつもキッチンで、僕と向かい合ってコーヒーを飲んでいる時とそう変わらない野中七海のままで。
今、かつて沢山のものを失ったはずの場所に、彼女は立っているはずなのに。