孤高の魚
………
「……あ、それ」
後ろから尚子が覗き込む。
「いつかさ、イタリアンレストランで、歩夢が話してたやつだね。
あたしが元カノからの手紙だとか、言ったやつ」
「……うん」
「懐かしいな」
……懐かしい。
確かに、それほど時間は経過していないはずなのに、僕達の過ごした時間は濃密で、とても長いものだった様に感じる。
「あの時は、こんな事になるなんて、思ってもみなかったな」
「こんな事?」
「うん。こんな事。
普通の日々が続いていくって、思ってた」
「普通の?」
「そう。普通の。
でも今、あたしのお腹の中には赤ちゃんがいて、ナナミちゃんは突然来て、仲良くなって、そいで急に、いなくなっちゃった。
そんな事、あの時には予想もできなかったよ」
僕は振り返って尚子の顔を見る。
そこには複雑な表情をした、母親になろうとする女性の、強い意志を持った顔があった。
瞳の奥に、芯が通っている。
まるで尚子の中に……
野中七海の一部が宿っているみたいに。