孤高の魚
「馴れ」は、野中七海を失った僕達の悲しみを、少しずつ少しずつ癒していった。
穴が埋まる事はなくても、時間が経てば風化する事もある。
それでもまだ、僕の心の繊細な部分には、野中七海への恋心が燻っていた。
彼女以上に魅力的な女性に、いつか出会えるかもしれないなどと夢を見る余裕はまだない。
僕の記憶の中で、彼女はいつも美しく、可憐で……
強く、それと同じくらい弱く。
黒い髪を揺らし、うふふ、と笑う。
揺るぎない視線で、真っ直ぐに僕と向かい合う。
壊れそうな瞳。
温度をも含む言葉。
彫刻のように白い肌。
剥き出しの心。
この雑多な世界で、一筋の純粋な光を放つ。
彼女の胸元にキラキラと輝いていた、一匹の魚の様に。
強い意志を持って群れから離れた……
そう、彼女はまるで、選ばれた、たった一匹の……
孤高の魚。
………
「ちょっと、煙草買ってくるよ」
彼女の事を思うと、途端に口元が寂しくなる。
僕は煙草を切らしていた事を思い出し、立ち上がる。
コーヒーは暫く飲んでいない。
帰ったら久しぶりにインスタントコーヒーを入れようかと、玄関で靴を履きながら考える。