孤高の魚
それから彼女は、隣のドアやルームナンバーを確認して覗きながら、首を傾げて俯いた。
そうして僅かに僕へと一礼すると、何か考え込みながら、くるりと背を向けてしまった。
彼女の静かな足音が、寝ぼけた僕の頭をゆっくりと覚ましてゆく。
………
彼女の……
躊躇いの仕草。
古風な雰囲気。
華奢なスタイル。
どこか柔らかくて、美しい姿態。
……
………
「……野中……七海?」
僕がその可能性に気がついた時には、玄関のドアはすっかり閉め切ってしまった後だった。
慌ててもう一度ドアを開け、廊下の先へ視線を投げ掛けてみる。
………
彼女の姿は、すっかり消えてしまっていた。
追いかけようか……
と一瞬走りかけたけれども、止めた。
もし、彼女が本当にあの「野中七海」だとしたら、僕が歩太宛ての例の手紙を読んでしまった事の言い訳が立たない。
あの手紙の封筒には、差出人の名前はなかったのだから。