フェイドアウト
躊躇
「そりゃ、また会える糸口を残しときたいってことでしょ。少なからず偶然の再会で終わらせたくないって思ってることやん。」 
昼休みの厚生室で、佐和ちゃんはそうさらっと言うと、お弁当の卵焼きを箸でつかんで口に放り込んだ。  
彼女はこの春から私と一緒に入社した同期で、私は総務部、その隣にある経理部に佐和ちゃんは配属になった。
佐和ちゃんはとにかく頭がいい。  
頭がいいというのは知識があるという意味だけではなくて、 仕事でもなんでも瞬時に物事を判断してテキパキとこなす様は、見ていて気持ちがいいほどだ。
しかもそのうえ美人ときたら、周りの男性は放ってはおかないんだろうな、と思うんだけど、本人はこのとおりサバサバした性格なので、若干とっつきにくそうに見えるのかもしれない。  
そんな佐和ちゃんに、客観的な意見を求めようと、朝の電車での出来事を私は話していた。  
「うーん、そうなんかなあ。」 
私は言葉を濁した。
4年前にアキから距離を置いたのは確かに私の方だったけれど、だからといってアキは離れていく私を特に追いかけてくるわけでもなかった。メールアドレスや電話番号を変えたわけでもなければ、住んでる場所も大学も知っていたわけだし、連絡を取ろうと思えばアキからだって容易にできたはずで、それがなかったのはお互いにもう無理なんだと感じていたからだとわかっていた。
私が勝手に好きになって、勝手に彼から離れていった、ただそれだけの事だと、ずっと思うようにしていた。
「彼もそんなに深く考えてない可能性もあるんと違う?……それよりさ、」   
佐和ちゃんはペットボトルの烏龍茶を一口飲むと言葉を続けた。
「私は、瑞穂がどう思ってるのかの方が大事やと思うんねんけど。」 
うっ。
「まだ、その彼のこと、好きなん?」   
えーと。
「だってさ、瑞穂って営業の高橋くんからのアプローチにも全然興味なさそうやん。」 
「そ、そんなことはないけど。」 
「高橋くん、絶対、瑞穂のこと好きやと思うねんけどなー。ね、どう?」 
佐和ちゃんは、 楽しくて仕方ないような表情をして、私の顔を覗き込んだ。
「どう、って言われても。」 
なんでここで高橋くんの名前が出てくるのか私は返答に困ってしまった。
「そうか、電車の彼のことがまだ忘れられへんわけか。」 
「もう、さわちゃんってば。」   
「瑞穂はホントおもしろい。」 
困り果てた私の表情を見て、佐和ちゃんはゲラゲラ笑いながら言った。
「瑞穂こそ、電車の彼のことがもうすっかり過去の思い出なんやったら、そんなに気にならへんはずやし。結局は瑞穂がどうしたいか、ってことやで。」 
そうハッキリ言われてしまうと、私はもう何も言い返せない。  
「また会いたいのなら、彼の気持ちを確かめたいんやったら、明日も頑張って早起きして、今日と同じ電車に乗ってみるしかないんちゃう?」
「うーん。」 
いつまでも煮え切らない様子の私に、
「私やったら、そんな過去の幻想よりも、現実的な高橋くんの方がイイと思うけどなあ。」   
佐和ちゃんは肘をついて小さな顔をその上に乗せると、窓の方を見てそう言った。 
 佐和ちゃんの言うことはもっともだと私も思う。
私もこの4年間、ずっとアキのことを引きずってきたわけじゃないなんていいながら、確かにあれ以来、恋人と呼べるような存在はいないままだった。それはなんとなく気が乗らないというか、そんなにいい出会いもなかったからで、アキとまた昔のように戻りたいなんて考えていたからというわけでもない。
私は佐和ちゃんより先に更衣室から出ると、自分の部署のある二階へ上がろうと階段に向かって廊下を歩き出した。
「小川さん。」
背後から私を呼ぶ声がして振り返ると、こっちに向かって駆け寄ってくる高橋くんの姿があった。
さっきまで佐和ちゃんが高橋くんの話をしていたのを思い出して、別に高橋くんがその話を聞いていたわけでもないのに、なんとなくバツが悪いような気がした。
私のところまでくると高橋くんはさっそく用件を話しはじめた。
「今度の同期会やねんけど、20日か27日の金曜日のどっちかにしようかと思うねんけど、小川さんと松本さんの都合どうかなって。」
「私はどっちでも大丈夫やで。」
「じゃ、松本さんがOKやったらあとは適当に調整するわ。松本さんは顔見たら僕からも聞いとくけど、一応小川さんからも伝えといてくれへんかな。」
高橋くんはそう言って、右手を顔の前に立ててお願いするような仕草をして見せた。
私が入社したこの会社は今年の新入社員が18人いて、高橋くんもそのうちの一人だった。最初の5日間ほどは研修と称して全員がひとつの会議室に集められ、この会社の成り立ちや理念にはじまり、どんな部署があってどんな仕事をしてるのかとか接遇マナーまでみっちりと叩き込まれた。
その研修期間中に新入社員はある程度お互いに顔も覚えて、歓迎会もしてもらった。その後は本社や支社にそれぞれ配属になり今はバラバラに仕事はしているが、せっかく同じ時に入社したのだからと近況報告や親睦を兼ねて同期会を定期的にやろうという話が持ち上がっていた。
「うん、わかった。佐和ちゃんには私からも聞いとく。」
「ありがとう。助かるわ。」
高橋くんは笑顔でそう言った。
みんなでまた集まろうっていうのは簡単なことだけど、こういうのは誰かが動かないと実現しないもので、みんなに予定を聞いたりして調整してくれている高橋くんは大変やろうなと思った。
「ううん、こっちこそいろいろ段取りしてくれてありがとう。」
私が言うと、高橋くんは今度は顔の前で手を横に降って、
「いやいや、僕が言い出しっぺみたいなもんやから。そろそろみんな慣れへん仕事で疲れてるやろし、ぱーっと騒いで息抜きもしたい頃やと思うしね。日にち決まったらあとはお店決めるだけやから、また相談するわ。」
高橋くんはたいした事じゃなさそうにそう言ったけど、高橋くんといい佐和ちゃんといい、
「どうしてそんなにフットワーク軽いんやろう。」
思わず口をついて言葉が出てしまって、眼鏡の奥の高橋くんの眼がちょっとびっくりしたようになったあと緩やかになり、
「そうでもないよ。僕、楽しい時とか興味ある時だけやで、動いてるの。他はもう全然あかん。」
謙遜なのか、本当にそうなのかはわからなかったけど、高橋くんは否定した。
「あー、でもそう思ってくれてるんやったら、誘っとこうかな。今度、大学の時のサークルの子らとテニスするんやけど来えへん?」
急に思いついたように高橋くんが切り出した。
高橋くんは、長身でわりと細身に見えるけれど肩のあたりは結構がっしりとしていて、適度に日焼けした肌がいかにも体育会系らしい雰囲気を醸し出していて、テニスと言われても全く違和感を感じない。
「でも、私、テニスとかしたことないねんけど。」
「したことなくても大丈夫やで。半分以上お遊びみたいなもんやから、やりたかったら教えてくれる人もいっぱいおるし、もちろん見てるだけでもいいし。」
「うーん。」
やっぱり即答できない私に高橋くんは、
「すぐに決めんでもええよ。気が向いたらでええし、なんか体動かしてスッキリしたいなと思ったりしたらいつでも言うて。」
そう言ってにっこり笑った。
ちょうどお昼休みの終わりを知らせるチャイムが 鳴り響き、高橋くんは、じゃ、また、と軽く手を振って自分の部署に戻るために走って行った。
私はその後ろ姿を眺めながら、テニスかあ、とぼんやり考えながら、仕事へと戻った。
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