行きはよいよい 帰りはピーポーピーポー
その日を境に末広はストーカーをやめた。樹里には未練たらたらだったが、今さら追い回してどうなるというのだろう? 仕事の後は部屋に引篭もり、ビール片手に、それまでに盗み撮りした樹里の写真を眺めて過ごすようになった。
ある日、マルチチェックのシャツのとれたボタンをつけようと思い、ソーイングセットから縫い針を1本取り出した。ソーイングセットといっても、100円ショップで買った携帯用だ。何を思ったか、針を樹里の写真に突き刺した。彼女の悲鳴が聞こえた気がした。
それからは来る日も来る日も、彼女のことを思い浮かべながら刺し続けた。呪い殺したかったわけでもない。ただ、彼女が自分以外の男と結ばれるという事態だけは、いかなる手段を用いても阻止しなければならない、という強迫観念に取り付かれていたのだ。
こうして継続的に樹里に負の念が送られた。
以前に幾度となくテレビで硫化水素自殺のニュースを見たり、新聞でも記事を読んだりしたことがあったのに、まさかこんな身近で起こるなんて、夢にも思わなかった。助けようとした人や現場近くに居合わせた人が、被害を受けることがあることも知っていたけれど、まさか自分が巻き添えをくらうなんて------。
異臭に早く気づいた、下の階の人の119番通報がなければ、睡眠中に命を落としていたかもしれない。でも、命に別状はなかったとしても、硫化水素を吸入した後遺症が残ったら、どうしよう?
搬送中の救急車の中で、由理阿は不安に怯えていた。
担架に乗せられたまま救急搬入口から病院に入る。入ってすぐ左側に「救急処置室」という看板が目に入ってきた。由理阿がてっきりここに運び込まれるものと思っていたら、看護学校を卒業したばかりのような若い女性の看護師が、出迎えに来ていた。
「皆さん、担架から降りられますか?」
担架は救急車に戻されるらしい。
「少し歩けますか? すぐそこですから」
えっ、そんなこと言われても------。
眩暈と吐き気に襲われていた時、救急車に乗せられ、横になった姿勢で猛スピードで運ばれてきたため、由理阿はちゃんと立って歩けるかどうか自信がなかった。
それでも、覚悟を決めて、一緒に搬送されてきた他の3人とともに、よろよろと看護師の後に続く。右に曲がり、突き当たりまで進むと、今度は「高気圧酸素治療室」という看板が見えた。
部屋に入るのかと思ったら、治療に1時間半要するので、トイレを済ませておくようにとの指示があった。
部屋の前に階段があり、トイレはその反対側にあった。清掃が行き届き、清潔感が溢れていた。
ぴかぴかに磨かれた鏡に映る、青白く生気のない顔を見た瞬間、体を突き抜けるような衝撃が走った。由理阿は自分が死んでいるような錯覚に襲われた。
高気圧酸素治療室では、先ほどの看護師と、医者とも技師とも判断し難い、30代半ばくらいの白衣の男が待っていた。
青い治療衣を渡された時、由理阿は、2年前に他の病院で意識を取り戻した時、着せられていた手術衣を思い出した。時計、指輪、イヤリングなどを外すように言われたが、寝起きのパジャマ姿で搬送されてきたので、そういう物はしていなかった。
ベッドに横になり、臨床高気圧酸素治療技師という長い肩書きを持っていることが判明した男に血圧と体温を測定してもらい、治療と耳抜きの説明を受け、全員一緒に高気圧酸素治療装置に入る。一人用もあるそうだが、この病院の装置は多人数用だ。他の3人の様子を横目でちらりと覗うと、全員緊張した面持ちだ。
宇宙船を思わせる灰色のタンク内部では、座るか横になるか各自好きな姿勢になる。備え付けのマスクを装着し、それを通して純酸素を吸う。タンク内の気圧が徐々に上昇していく。
5分か10分経過した頃、由理阿は耳が詰まっているような感じで多少痛みも感じた。鼓膜に負担が掛かっているのだろう。先ほど聞いた耳抜きの説明を思い出し、鼻をつまみ唾液を飲み込むと、症状が軽減された。
その後、通常の気圧の3倍くらいに達すると、その気圧が45分維持された。最後に、30分かけてゆっくりと減圧され、通常の気圧に戻された。
同じアパートの住人とはいえ、時たま顔を合わせ軽い会釈を交わすだけの関係で、4人一緒に治療を受けていても、連体意識が生まれるどころか、終始気まずい空気が漂っていた。不幸中の幸いは、全員臭気を吸っただけの軽傷だったことだ。
タンクから出て、少し状態が落ち着くと、隣の部屋に移された。ベッドが4台あった。
症状がやや軽快した患者用の部屋らしい。常時発生する新たな重症患者の受け入れに備えて、救急処置室の病床を確保しておく必要があるからだ。
しばらく休ませてもらうつもりが、極度の緊張から開放され、張り詰めていた神経の糸が切れてしまったかのように、全員そのまま昼過ぎまで眠りこけてしまった。
定期的に様子を見に来ていたらしい看護師が、全員が起き出した頃合を見計らって、アパート内の硫化水素濃度も十分に下がっているとのことで、もうすでに帰宅許可が下りていることを告げに来た。
もう帰ってもいいのなら、一刻も早く帰らなければ。由理阿はアパートがどうなっているのか、ずっと気に掛かっていた。だが、いざ帰るとなると、あの強烈な臭気を思い出すだけで、恐怖で体が震えた。本当にもう帰っても大丈夫なのだろうか、という不審感が募る。
そんな相反する気持ちに揺れ動かされながら、病院を出ようとした由理阿は、治療費を支払わなければならないと聞き、カチンときた。
「わたし事件に巻き込まれたんですよ。被害者なんですよ。それに、自分で救急車も呼んでないのに。どうして治療費を請求されなきゃならないんですか?」
思わず声を上げていた。
「そんなこと言われても、病院が直接加害者に請求することもできないし、治療を受けたのはあなたなんだし、誰かが払わなきゃならないんだから------。でも、後で加害者に請求できるのよ。あなた交通事故に遭ったこともないのね。交通事故の時だって、被害者も一時的にしろ、治療費を支払うものなのよ」
窓口の女性に諭すように言われて、由理阿は取り乱している自分が恥ずかしくなった。
交通事故に遭ったことはあるにはあるが、事故を起こしたのが、その事故で亡くなった恋人で、被害者意識など生まれてくるはずもなかった。赤の他人から被害を受けるという経験が欠けていた。
由理阿はようやく納得したが、払おうにも、持ち合わせが0だ。
病院側もそういう事情は理解してくれて、後で払いに来るという約束で、支払を一時保留にしてくれた。
一緒に搬送されてきた人たちの中に、たまたま小銭入れを持ってきた人がいた。その人に運賃を立て替えてもらえることになり、全員一緒に病院前のバス停からバスに乗りアパートに戻ることが決まった。
さて、病院を出ようと正面玄関の自動ドアに近づいた際、外の様子がおかしいことに気がついた。でも、もう遅すぎた。カメラとマイクが目の前に迫ってきた。
病院側から院内出入り禁止を申し渡されようが、何とか被害者の表情や生の声が欲しいマスコミ取材陣は、由理阿たちが出てくるのを今か今かと待ち構えていたのだ。
「硫化水素自殺の巻き添えとなった被害者の皆さんが、この病院で救急治療を受け、たった今、出てきたところです------」
テレビ局の若い女性記者の声が響く。
あっという間にテレビ、新聞、週刊誌などの取材陣に取り囲まれた。
「今、硫化水素自殺者に対してどんなお気持ちですか?」
「体の調子はどうですか? もうかなり回復されましたか?」
「救急隊員、病院の対応はどうでしたか?」
「硫化水素発生時、何をされてましたか?」
立て続けに質問攻めに遭う。
これが心身ともに傷を負った被害者に対してすることか! 今、あたしたちがどんな心境なのか、被害者の立場に立って想像すれば、すぐにわかることなのに------。
由理阿は叫んで抗議したかったが、質問に答えない限り解放されないことは目に見えていた。病院を出入りする患者やその家族たちの迷惑も顧みず、病院玄関前は報道陣に占拠されていた。
つらい取材は続き、バスに乗り込むところをカメラに収められて終了。
アパートに近づくにつれ、硫化水素発生時の恐怖が甦ってきたが、周辺道路を平然と歩いている人々を目の当たりにして、由理阿は夢を見ているような気がした。ほんの数時間前の地獄絵が妄想だったのかもしれないと思えてきた。
アパート前にはテレビ局の中継車が何台か止まっていた。
こちらにも大挙して押し寄せたマスコミ取材陣はまだ居座っていた。由理阿たちの姿を認めると、我先にと駆け寄ってきた。
「硫化水素自殺の巻き添えとなった被害者の皆さんが、病院で救急治療を受け、たった今、このアパートへ戻ってきました------」
テレビ局の若い女性記者の声に迎えられる。
あっという間にもみくちゃにされた。もはや逃げ場はない。
もういい加減にしてくれ!
由理阿はそう叫びたかったが、多勢に無勢。再び、マイクを突きつけられ、質問攻めに遭う。質問内容は病院を出た時とほとんど同じ。部屋に入るところを撮影され、ようやく解放された。
ふっと安堵の溜め息をついたのも束の間、ドアをノックする音がした。
「もういい加減にしてよ」
由理阿が呟きながらドアを開けると、憔悴し切った大家の顔があった。目の下の大きな隈が目に付く。特に用事がない限り訪ねていくこともないので、こうして向かい合うのも久し振りだ。
前に会った時、こんな隈あったかなあ? やっぱこんな大変なことがあった後だから。
ふとそんなことを思っていると、換気のためアパート全体のドアや窓はずっと開けられたままになっていたが、盗難の心配はないことを告げられた。周辺道路の封鎖が解除されるまで、警察が警備していたし、つい今し方自殺者の出た部屋の現場検証が終わったところだそうだ。
アパートやマンションなど集合住宅の場合、空気より重い硫化水素は、配管を通って階下へ降りるため、濃度が高くなった下のほうが危険度が増すそうだ。だが、事件発生時刻が午前9時過ぎで、その頃にはアパート住民の多くが出払っていて、1階には二人しかいなかったため、被災者数は少なく抑えられた。朝夕のラッシュ時に電車に飛び込んで、多くの通勤・通学客に迷惑をかける自殺者ほど、末広は非常識じゃなかったのかもしれない。それとも、自殺を止められることのないように、住民が出払った後を狙ったのかもしれない。
由理阿がベッドの縁に腰を下ろすと、日付変更線を越える長旅の末、早朝のアメリカ西海岸の空港に降り立った時のような疲労が、どっと襲ってきた。病院でひと寝入りしたというのに。
ところが、そのままベッドに横たわっても、眠れそうもない。体は寝返りも打てないほど疲れきっているというのに。
神経が異常なまでに高ぶっているようだ。そんな精神状態に付け入るかのように、記憶回路は、自ら命を絶っていった男にあっという間に乗っ取られていた。
初めてあいつに遭遇したのは2月ほど前の朝だった。じとじとと雨が降っていた。引越しの翌日で、午前9時半頃だった。
2ヶ月近くも続く夏休みが始まったばかりという、優雅な身分の由理阿にすれば、すでに20代後半に突入していると思われる、社会人がまだそんな時間に家の周りでごそごそしているのは驚きだった。
決まり悪そうにドアの外に立ち、銀縁眼鏡の奥の伏し目がちな視線でこちらの様子を覗っている、あいつを見た時、寝起きで髪もとかしていないパジャマ姿だから、視線を合わせないようにしているのかなと思った。何をするのかなあと思って見ていると、いったん部屋に入り、出てきた時には、リックサックを背負っていて、ビニール傘を差してそのままばたばたと出かけていった。
ある日、マルチチェックのシャツのとれたボタンをつけようと思い、ソーイングセットから縫い針を1本取り出した。ソーイングセットといっても、100円ショップで買った携帯用だ。何を思ったか、針を樹里の写真に突き刺した。彼女の悲鳴が聞こえた気がした。
それからは来る日も来る日も、彼女のことを思い浮かべながら刺し続けた。呪い殺したかったわけでもない。ただ、彼女が自分以外の男と結ばれるという事態だけは、いかなる手段を用いても阻止しなければならない、という強迫観念に取り付かれていたのだ。
こうして継続的に樹里に負の念が送られた。
以前に幾度となくテレビで硫化水素自殺のニュースを見たり、新聞でも記事を読んだりしたことがあったのに、まさかこんな身近で起こるなんて、夢にも思わなかった。助けようとした人や現場近くに居合わせた人が、被害を受けることがあることも知っていたけれど、まさか自分が巻き添えをくらうなんて------。
異臭に早く気づいた、下の階の人の119番通報がなければ、睡眠中に命を落としていたかもしれない。でも、命に別状はなかったとしても、硫化水素を吸入した後遺症が残ったら、どうしよう?
搬送中の救急車の中で、由理阿は不安に怯えていた。
担架に乗せられたまま救急搬入口から病院に入る。入ってすぐ左側に「救急処置室」という看板が目に入ってきた。由理阿がてっきりここに運び込まれるものと思っていたら、看護学校を卒業したばかりのような若い女性の看護師が、出迎えに来ていた。
「皆さん、担架から降りられますか?」
担架は救急車に戻されるらしい。
「少し歩けますか? すぐそこですから」
えっ、そんなこと言われても------。
眩暈と吐き気に襲われていた時、救急車に乗せられ、横になった姿勢で猛スピードで運ばれてきたため、由理阿はちゃんと立って歩けるかどうか自信がなかった。
それでも、覚悟を決めて、一緒に搬送されてきた他の3人とともに、よろよろと看護師の後に続く。右に曲がり、突き当たりまで進むと、今度は「高気圧酸素治療室」という看板が見えた。
部屋に入るのかと思ったら、治療に1時間半要するので、トイレを済ませておくようにとの指示があった。
部屋の前に階段があり、トイレはその反対側にあった。清掃が行き届き、清潔感が溢れていた。
ぴかぴかに磨かれた鏡に映る、青白く生気のない顔を見た瞬間、体を突き抜けるような衝撃が走った。由理阿は自分が死んでいるような錯覚に襲われた。
高気圧酸素治療室では、先ほどの看護師と、医者とも技師とも判断し難い、30代半ばくらいの白衣の男が待っていた。
青い治療衣を渡された時、由理阿は、2年前に他の病院で意識を取り戻した時、着せられていた手術衣を思い出した。時計、指輪、イヤリングなどを外すように言われたが、寝起きのパジャマ姿で搬送されてきたので、そういう物はしていなかった。
ベッドに横になり、臨床高気圧酸素治療技師という長い肩書きを持っていることが判明した男に血圧と体温を測定してもらい、治療と耳抜きの説明を受け、全員一緒に高気圧酸素治療装置に入る。一人用もあるそうだが、この病院の装置は多人数用だ。他の3人の様子を横目でちらりと覗うと、全員緊張した面持ちだ。
宇宙船を思わせる灰色のタンク内部では、座るか横になるか各自好きな姿勢になる。備え付けのマスクを装着し、それを通して純酸素を吸う。タンク内の気圧が徐々に上昇していく。
5分か10分経過した頃、由理阿は耳が詰まっているような感じで多少痛みも感じた。鼓膜に負担が掛かっているのだろう。先ほど聞いた耳抜きの説明を思い出し、鼻をつまみ唾液を飲み込むと、症状が軽減された。
その後、通常の気圧の3倍くらいに達すると、その気圧が45分維持された。最後に、30分かけてゆっくりと減圧され、通常の気圧に戻された。
同じアパートの住人とはいえ、時たま顔を合わせ軽い会釈を交わすだけの関係で、4人一緒に治療を受けていても、連体意識が生まれるどころか、終始気まずい空気が漂っていた。不幸中の幸いは、全員臭気を吸っただけの軽傷だったことだ。
タンクから出て、少し状態が落ち着くと、隣の部屋に移された。ベッドが4台あった。
症状がやや軽快した患者用の部屋らしい。常時発生する新たな重症患者の受け入れに備えて、救急処置室の病床を確保しておく必要があるからだ。
しばらく休ませてもらうつもりが、極度の緊張から開放され、張り詰めていた神経の糸が切れてしまったかのように、全員そのまま昼過ぎまで眠りこけてしまった。
定期的に様子を見に来ていたらしい看護師が、全員が起き出した頃合を見計らって、アパート内の硫化水素濃度も十分に下がっているとのことで、もうすでに帰宅許可が下りていることを告げに来た。
もう帰ってもいいのなら、一刻も早く帰らなければ。由理阿はアパートがどうなっているのか、ずっと気に掛かっていた。だが、いざ帰るとなると、あの強烈な臭気を思い出すだけで、恐怖で体が震えた。本当にもう帰っても大丈夫なのだろうか、という不審感が募る。
そんな相反する気持ちに揺れ動かされながら、病院を出ようとした由理阿は、治療費を支払わなければならないと聞き、カチンときた。
「わたし事件に巻き込まれたんですよ。被害者なんですよ。それに、自分で救急車も呼んでないのに。どうして治療費を請求されなきゃならないんですか?」
思わず声を上げていた。
「そんなこと言われても、病院が直接加害者に請求することもできないし、治療を受けたのはあなたなんだし、誰かが払わなきゃならないんだから------。でも、後で加害者に請求できるのよ。あなた交通事故に遭ったこともないのね。交通事故の時だって、被害者も一時的にしろ、治療費を支払うものなのよ」
窓口の女性に諭すように言われて、由理阿は取り乱している自分が恥ずかしくなった。
交通事故に遭ったことはあるにはあるが、事故を起こしたのが、その事故で亡くなった恋人で、被害者意識など生まれてくるはずもなかった。赤の他人から被害を受けるという経験が欠けていた。
由理阿はようやく納得したが、払おうにも、持ち合わせが0だ。
病院側もそういう事情は理解してくれて、後で払いに来るという約束で、支払を一時保留にしてくれた。
一緒に搬送されてきた人たちの中に、たまたま小銭入れを持ってきた人がいた。その人に運賃を立て替えてもらえることになり、全員一緒に病院前のバス停からバスに乗りアパートに戻ることが決まった。
さて、病院を出ようと正面玄関の自動ドアに近づいた際、外の様子がおかしいことに気がついた。でも、もう遅すぎた。カメラとマイクが目の前に迫ってきた。
病院側から院内出入り禁止を申し渡されようが、何とか被害者の表情や生の声が欲しいマスコミ取材陣は、由理阿たちが出てくるのを今か今かと待ち構えていたのだ。
「硫化水素自殺の巻き添えとなった被害者の皆さんが、この病院で救急治療を受け、たった今、出てきたところです------」
テレビ局の若い女性記者の声が響く。
あっという間にテレビ、新聞、週刊誌などの取材陣に取り囲まれた。
「今、硫化水素自殺者に対してどんなお気持ちですか?」
「体の調子はどうですか? もうかなり回復されましたか?」
「救急隊員、病院の対応はどうでしたか?」
「硫化水素発生時、何をされてましたか?」
立て続けに質問攻めに遭う。
これが心身ともに傷を負った被害者に対してすることか! 今、あたしたちがどんな心境なのか、被害者の立場に立って想像すれば、すぐにわかることなのに------。
由理阿は叫んで抗議したかったが、質問に答えない限り解放されないことは目に見えていた。病院を出入りする患者やその家族たちの迷惑も顧みず、病院玄関前は報道陣に占拠されていた。
つらい取材は続き、バスに乗り込むところをカメラに収められて終了。
アパートに近づくにつれ、硫化水素発生時の恐怖が甦ってきたが、周辺道路を平然と歩いている人々を目の当たりにして、由理阿は夢を見ているような気がした。ほんの数時間前の地獄絵が妄想だったのかもしれないと思えてきた。
アパート前にはテレビ局の中継車が何台か止まっていた。
こちらにも大挙して押し寄せたマスコミ取材陣はまだ居座っていた。由理阿たちの姿を認めると、我先にと駆け寄ってきた。
「硫化水素自殺の巻き添えとなった被害者の皆さんが、病院で救急治療を受け、たった今、このアパートへ戻ってきました------」
テレビ局の若い女性記者の声に迎えられる。
あっという間にもみくちゃにされた。もはや逃げ場はない。
もういい加減にしてくれ!
由理阿はそう叫びたかったが、多勢に無勢。再び、マイクを突きつけられ、質問攻めに遭う。質問内容は病院を出た時とほとんど同じ。部屋に入るところを撮影され、ようやく解放された。
ふっと安堵の溜め息をついたのも束の間、ドアをノックする音がした。
「もういい加減にしてよ」
由理阿が呟きながらドアを開けると、憔悴し切った大家の顔があった。目の下の大きな隈が目に付く。特に用事がない限り訪ねていくこともないので、こうして向かい合うのも久し振りだ。
前に会った時、こんな隈あったかなあ? やっぱこんな大変なことがあった後だから。
ふとそんなことを思っていると、換気のためアパート全体のドアや窓はずっと開けられたままになっていたが、盗難の心配はないことを告げられた。周辺道路の封鎖が解除されるまで、警察が警備していたし、つい今し方自殺者の出た部屋の現場検証が終わったところだそうだ。
アパートやマンションなど集合住宅の場合、空気より重い硫化水素は、配管を通って階下へ降りるため、濃度が高くなった下のほうが危険度が増すそうだ。だが、事件発生時刻が午前9時過ぎで、その頃にはアパート住民の多くが出払っていて、1階には二人しかいなかったため、被災者数は少なく抑えられた。朝夕のラッシュ時に電車に飛び込んで、多くの通勤・通学客に迷惑をかける自殺者ほど、末広は非常識じゃなかったのかもしれない。それとも、自殺を止められることのないように、住民が出払った後を狙ったのかもしれない。
由理阿がベッドの縁に腰を下ろすと、日付変更線を越える長旅の末、早朝のアメリカ西海岸の空港に降り立った時のような疲労が、どっと襲ってきた。病院でひと寝入りしたというのに。
ところが、そのままベッドに横たわっても、眠れそうもない。体は寝返りも打てないほど疲れきっているというのに。
神経が異常なまでに高ぶっているようだ。そんな精神状態に付け入るかのように、記憶回路は、自ら命を絶っていった男にあっという間に乗っ取られていた。
初めてあいつに遭遇したのは2月ほど前の朝だった。じとじとと雨が降っていた。引越しの翌日で、午前9時半頃だった。
2ヶ月近くも続く夏休みが始まったばかりという、優雅な身分の由理阿にすれば、すでに20代後半に突入していると思われる、社会人がまだそんな時間に家の周りでごそごそしているのは驚きだった。
決まり悪そうにドアの外に立ち、銀縁眼鏡の奥の伏し目がちな視線でこちらの様子を覗っている、あいつを見た時、寝起きで髪もとかしていないパジャマ姿だから、視線を合わせないようにしているのかなと思った。何をするのかなあと思って見ていると、いったん部屋に入り、出てきた時には、リックサックを背負っていて、ビニール傘を差してそのままばたばたと出かけていった。