いつかの君と握手
「あの、ですね。あたし、相談があるんです。
真剣なので、あの、最後まで聞いてもらえないでしょうか」

「ああ、9年後、だろ?」


さらりと言われて、思わずつんのめった。
えー、その問題を、あっさりとー?


「君と祈が寝たあと、三津たちから聞いたんだ。すごいな、美弥緒ちゃんは未来を知ってるんだな」

「あ、いや、まあ、そうなんですけど。って、そっちの話は後回しでいいんです」

「あと? まだ急ぐ内容がある?」
「はい。イノリのことです。加賀父、じゃないや。加賀さんがイノリを引き取ることはできないんですか?」


訊くと、加賀父は驚いたように目を見開いた。


「大澤さんがどんな人かは知りません。いい人なのかもしれません。
でも、イノリはあなたこそがお父さんだと思っているから、1人で頑張って家を出たんです。
あなたがイノリを引き取ることはできないんでしょうか?」


柚葉さんの言ったことも分かる。
でも、やっぱりお金よりも重要なことがあると思うのだ。

自分がでしゃばったことを言っていると分かってる。
加賀父にだって、事情があるからこそイノリと別れたのだろうし。
しかし、イノリの気持ちを思うと、言わずにはいられない。


「だめなんでしょうか。イノリがここまで必死になって来たこと、考えてもらえないでしょうか。イノリはあなたが自分のお父さんだと思ってるんです」


目の前の加賀父を見る。
と、膝の上にイノリのリュックサックがのっていた。
あたしの視線に気がついた加賀父が、思いついたようにリュックから何かを取り出した。


「美弥緒ちゃん、これ、見てみな?」


ほら、と手の平くらいの大きさのものを差し出された。

受け取ったそれは画用紙で、開いてみると用紙からはみ出るくらい大きく、人物画が描かれていた。
クレヨンで描かれた笑顔の人の上には、『おとうさんだいすき』と、拙い字で書いてあった。

ほのぼのとした絵に、笑みがわく。
一所懸命に描く姿が思い浮かんだ。


「イノリの描いた絵です、ね。よく描けてる」

「裏も見て」


ひっくり返すと、大人の字で『1年2組 大澤 祈』と記されており、しかし大澤という字はクレヨンで乱暴に消されていた。
代わりに、『かが』とでっかく書いてある。


「その似顔絵、俺、でいいのかなー」

「きっとそうでしょう」


ふう、と加賀父がため息をつき、それから視線を庭先にやった。
倣うように庭先を見る。よく手入れされているらしく、整った庭木。
朝顔がいくつも花を咲かせているのが見えた。


「俺さ、最低の男なんだよ。あいつの父親になんて、一番なっちゃいけないんだよね」


しばらくの沈黙の後、あっけらかんとした口調で言った。


「俺はさあ、親友だった男から、そいつの大事な女を奪ったんだ。しかも子どもごとさ。
あのころの大澤は多忙を極めていて、家庭を顧みてなくて。
祈が高熱を出して苦しんでいても、さやかがそれを寝ずに看病していても、仕事があるからと手助けしなかった。

それを俺は好機と思って、彼女を攫ったわけだ」


< 109 / 322 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop