いつかの君と握手
どうして、加賀父はあたしにそんな話をするんだろう。

軽口を叩いてるつもりだろうに、顔を歪めてちゃ元も子もない。
辛いのなら、あたしに聞かせなくてもいいのに。


「自分より何もかも優れた男から、一番大切なものを奪ってやりたい。
あいつを悔しがらせてみたい、ただそれだけだったんだけどね」

「え……?」


「美弥緒ちゃんにはさ、ライバルっていうような相手はいる?
俺にとって、大澤は間違いなくそれだった。でも、それは俺だけの勝手な敵対心だったけど。
向こうの方が格段に上で、多分俺なんて競争相手にも思ってなかっただろうな。
永遠に勝てない相手が幼馴染っていうのも、辛いもんなんだよ。

あいつを尊敬する反面、僻んでいた自分がいて。そんな矮小な自分に嫌気が差す。
そしてそんな思いを抱かせるあいつを恨む。
情けない男だよな」


くつくつ、と自嘲気味に笑って、加賀父は再び語り始めた。


「さやかはね、大澤にぴったりのよくできたいい女だった。ただ少しだけ、警戒心と猜疑心が足りなかった。
大澤に勝ってみたい、それだけで自分を口説いていた男の裏心に気がつかなかったんだ。

どんな人間でもね、心のタガが緩むときがあるんだ。
それがたとえ僅かな隙間でも、見誤らなければ侵入できる。
俺はさやかの心の隙間に、うまく入り込んだ。

俺が大澤に勝っているところといえば、女の扱いかもな。
ほんの少し時間をかけたけれど、さやかの心を手に入れたからね」


「…………」


「あれは暑い夏の日だった。イノリはまだ1歳になったばかりだったかな。よたよたとしか歩けない子どもを抱えたさやかは、大澤の家を飛び出して俺の元へ来た。
玄関のドアを開けて、彼女の姿を認めたとき、鳥肌が立ったよ。
罪悪感なんかじゃなく、あいつの一番大切なものを掻っ攫ってやったっていう、達成感でね。

だけど、醜い心が成した先に、幸せはないんだよね。
俺の汚い嫉妬心は、さやかの命を潰してしまった。
あんな汚い安アパートで、毎日働きずめで。結局体を壊してあっという間に彼女はいなくなった。

俺は祈から裕福な生活も、父親も、母親も奪ったんだ。そんな俺が父親になんて」

「……あの、そういうの、もういいです」


黙って聞いていたあたしだったが、我慢の限界。
はあ、とでっかいため息をついて、加賀父の言葉を遮った。


「あたし、別に懺悔が聞きたいわけじゃないんです。そういう裏事情的なもんを聞かされても、正直迷惑です」


懺悔室の偶像扱いされても困るんだよね。
静かにウンウンって聞いてらんないっつーの。


「どんな事情があるのか知らないし、あなたがどんなことをしたのかなんて聞きたくないんです。
イノリはとてもいい子で、きちんと両親に愛されているのが充分伝わりました。
そのイノリが父親と慕うのなら、加賀さんは過去はどうあれいいお父さんだったんじゃないんですか。

だいたい、金吾さまの顔して湿っぽい話をしないでくれませんか」


無性にいらいらした。
金吾様の口からこんな女々しい愚痴を聞きたくない。
気風のよさが売りの江戸っ子は、こんなことでしょぼくれたりしないのだ。

男なら、女を盗ったときは腹をくくって愛情をかけて面倒をみる。
子どもがいれば、尚のこと愛情を注いで育てる。
これが男のスジってもんだ。

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