いつかの君と握手
「先生、またですか? 奥さんのはずないでしょう」


湯気の立ち上る木椀を持って戻ってきた加賀父が、呆れたように言った。


「よく見てください。彼女は奥さんとは全く違う別人です」


テーブルに味噌汁を置き、警戒心むき出し状態のあたしと、怯えたじいさんの間に入る。


「ほら、この子はまだ15歳なんですよ。奥さんはこんなに若くなかったでしょう?」

「し、しかし志津子の10代の頃そっくりじゃし……」

「奥さんが10代に戻ったのだとしたら、先生のところに来るはずないでしょう。
若くなったんだったら、じいさんの相手なんかせずに年相応の相手を探しに行ってます」

「んな!? まじか! 若いほうがええか!」

「当たり前でしょう。酔っ払いのおいぼれじじいよりも肌にハリのある若い男に決まってるじゃないですか」


加賀父、言葉は丁寧だけど、言ってることはけっこう酷くね?


「いや! 志津子はわしのことを愛しておる!」

「あはは。いつもいつも酔っ払って奥さん困らせてたくせによく言いますね。浮気もしたでしょ、ほら、俺が3年のときの保険医の」

「ぬああああああああ! 一心! 志津子の前でなにをそんな」

「知らないままでいたってことはないんじゃないですかねー。先生は嘘つくの下手だし。あの保険医、名前を何ていいましたっけ。ええと坂も……」

「ちちちちち違う! あれは浮気じゃなくてだな」


じいさん、うろたえすぎー。
しかし、ちらちらとあたしの様子を窺うのは止めてくれないか。
あたしは志津子じゃねえし。
あんたの浮気なんかこれっぽっちも興味ねえし。


「とにかく、彼女は美弥緒ちゃんという全くの別人です。ね?」

「え? ああ、はい。志津子って名前でもないですし」


はっきりそう告げると、じいさんは作努衣の胸元に手を突っ込み、何かを探し始めた。
見つからないみたいだったが、探しものに気付いた加賀父が、テレビの上に置かれたものを取って、手渡した。

ああ、メガネか。
黒縁のメガネをかけたじいさんは、改めてあたしを見た。

少し充血した瞳でまじまじと見てくるので、真正面から受け止めてやった。
おらおら、勘違いだと痛感するがよいわ。


「似とるんだがのー……」


やっぱ似てるのか……。
少し脱力。志津子さんとやらは、きっと地味顔だったんだろーねー。


「いやでも、確かに雰囲気が違うかいの。志津子は控えめな女じゃったし」


あー、そうですか。
ガンガン見つめ返して悪かったですね。


「そうか。志津子がわしを迎えにきたのかと思ったんじゃけど、違うのか。こりゃあ、1人で逝けということかの」


ん?
俯いて、しょんぼりと肩を落としたじいさん。
どういう流れよ? ときょとんとしていたら、加賀父が傍にきて小声で教えてくれた。


「先生はさ、自分が余命いくばくもないって勘違いしてるんだ」


ああ、耳元で囁いてもらえるとわ。
なんという至福でしょう。
耳福耳福。

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