いつかの君と握手
こういうの、よくないだろ。
立ち聞きなんて、まじで趣味悪すぎる。
気付かれないように、そっと離れなくては。

ゆっくりと足を踏み出しかけたところで、再びかぼそい声がした。


「あの、ね。猫……茅ヶ崎さんのことは、本当なの? 本気なの?」


思わず足が止まる。
いかんってば、美弥緒。
どうしてあんたはそんなに下世話な人間なんだ。
穂積のこと攻められないじゃん。
せめて耳塞げって。


「本気だけど?」


耳元に手をあてる暇もなく、即答。躊躇いも何もない、きっぱりした答え。
どくんと心臓が鳴った。


「本気で想ってる」

「え……ホントに言ってる、の? だってあんなに地味な」

「地味って、何? アンタの地味って何?」


驚いたような女の子の声の後、イノリが冷ややかに続けた。


「俺にとってはあいつは誰よりも綺麗だけど」

「な……っ!」



な……。
息を呑んだ。
何を言って……。


「もぉー、忘れ物するなんてまじサイテー! せめて学校出る前に気付けよー」
「ごめんって。すぐ取ってくるからさー」
「お腹すいたのにー! 昼ごはん奢ってよね」


と、一階の方から、ぎゃいぎゃいと騒ぐ声が聞こえた。
階段を上ってくる気配もする。

やばい! このままじゃここにいることが二人にばれてしまうかも!

弾かれるように、その場から駆け出した。



「――はっ、はぁ……っ!」



全力でダッシュして、教室に戻ってきた。
戸を閉め、そのまま床にへたりと座り込む。

あそこにいたこと、バレなかった、よね……?

額に滲んだ汗を拭って、大きく息を吐いた。


耳に、さっきのイノリの言葉が残っている。


『本気で想ってる』
『あいつは誰よりも綺麗だけど』


どうして、イノリはあたしにそんな言葉を使うんだろう。
自分に、そんな言葉を向けられるほどの何かがあるなんて、思えないのに。
なのに、どうしてそんな言葉。


「……痛って、ぇ」


ああ、まただ。
心臓が痛い。


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