平成のシンデレラ

「だめーっ!」


絶叫の後にパチンという乾いた音が響いて
何かから覚めた時のように二人呆然となった。


「・・・・・っ」



目の前にある彼のうっすらと赤みを帯びた頬と
私の右掌に残る鈍い痛みは、紛れも無く彼の頬を叩いた証拠。


「ご、ごめんなさい!」
「おい?!」



彼の身体を押し退けて、全力疾走でその場から逃げ出し自室に戻り
震える指先でドアに鍵をかけ床にへたり込んだ。
予期せぬ出来事が一度に起こって混乱している自分を落ち着けるために
大きな深呼吸を何度も繰り返した。


あろうことか雇い主の頬を引っ叩くなんて!なんという事を。


あまりの自分の愚かさに呆れて、最後の深呼吸は盛大なため息にかわった。
本当は…嫌だったわけじゃない。
相手は背の高い飛び切りのハンサム。エレガントでセクシーで
身のこなしも会話も洗練されていて、おまけに南波グループの御曹司。
ロマンス小説から抜け出した王子様のような彼に何の不足があろうか。


あるわけが無い。ただ・・・


怖かった。自分の知らないところで動く力に疑いも抗いもせず
相手のテリトリーに引き込まれ、流されて思惑通りになる事が。
こんな私だけれど、ささやかなプライドはあるのだ。


あの人は私を抱きたいとは言ったけれど、好きだとは言わなかった。


ハウスキープと性欲処理。
一石二鳥だなんて思われていないとも限らない。
あの夜の一件で彼は私を割り切って遊べるタイプだと
思っているかもしれないのだから。
此処にいる間だけ、好きに抱いて契約期間が終わったらそれでおしまい。


そうなったら、私はどうするだろう?
その時今以上に真剣に彼を好きになっていたりしたら・・・


そう考えるとやはり怖くて身体がすくんだ。
割り切った恋愛ができるほど起用ではないし
着せ替えのように簡単に恋を取り替え楽しむ事ができる年齢でもない。
だからこそ次の恋は慎重にしようと決めていた。
それなのに それなのに・・・



ああ、なんて事なの! 

       もう どうすればいいの?



悶々と一睡も出来ないままで夜を過ごした私は
白々と明けていく空を見つめて「よし」と小さく呟き立ち上がった。


ここを出よう。


彼の思惑が分かってしまった以上、そして私が割り切れない以上
二人きりで3週間もの日々を過すことはできない。
それに、雇用主に手を上げてしまったのだ。
本来なら解雇されてもしかたない失態。ここを出る理由としては十分だ。


決断したらその後の行動が早いのは数少ない私の取り得でもある。
キャリーバックに荷物を押し込んで、途中で辞める事への謝罪と
代わりの人材を派遣してもらうことを簡単に書面にしたため
リビングのテーブルにこの屋敷の鍵と一緒に置いて、重いドアを開けた。

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