平成のシンデレラ

早朝の寒さはもう冬のそれに近い。
上着の前を掻き合せ、歩き出した。


無駄に長い門までの距離を恨めしく思いながらも
刈ったばかりの芝が朝露に濡れて輝くさまにふと見惚れた。
屋敷同様、整えられ手入れの行き届いた庭は本当に美しくて
これで見納めかと思うと、少し寂しい気がしてしまう。
毎年決まって請け負うというこのお屋敷の仕事も
来年以降、私に回されることはなくなるだろう。
途中どころか2日目にして、しかもこんな個人的な理由で仕事を放棄するなんて
本来社会人としては失格だ。会社の信用にだって関わる。
経営者である母親も親子だからこそ余計にこんな私の我が儘を許さないだろうし
誰よりも依頼人である彼はそういう責任感のなさを絶対に認めないタイプだ。
優しくても決して甘い人じゃない。彼の目を見ればわかる。


もっと私が強かったら・・・
どれだけ誘惑されても、跳ね除けるだけの強さがあれば
こんな事にはならなかったのに。


でも本当にそれだけだろうか?
否、違う。それだけじゃない。
彼に本気で恋をしてしまいそうな自分が怖いだけ。
恋をして報われない結末を迎えて、また傷つく事に臆病になっているだけ。


だって自信がないんだもの。婚約までした男に捨てられた私が
どうしてこんな王子様みたいな人と恋ができる?
できるわけないでしょう?
一瞬、私を捜し出してまで、というのに感激してよろめきそうになったけれど
それだって、きっとホンの気まぐれ。お金持ちの退屈しのぎに過ぎないのだろう。
冷静に考えれば分かること。


だったら、好きにならなければいい。その為にはここを離れるべきだ。
それがどんなに我が儘なのかも分かっているし
無責任なのも承知しているけれど・・・
でもこのままここにいたら、彼がどんな風に私を見ていたとしても
私はきっと彼を好きになってしまう。それが怖い。
あの強烈な魅力に抗える自信などない。



「はぁ・・・」



何度もため息を落とす間に知らず知らず俯き
自分の足元を見ながら歩いていた私は
不意に掛けられた声に驚いて立ち止まった。


「えらく早いな。どこへ行く」


その声に弾かれたように顔を上げると、門柱に背を凭せかけ腕を組み
あえて私と視線を合わせないようにしている優登の姿が目に入った。
まさか、待ち伏せ?いや、そんなはずはない。
スポーツウエアでいるということは多分ジョギングでもしてきたのだろう。
ちょうど戻ってきたところで、私と出くわしたのに違いない。


「え・・・あっ、その、ええっと」


何となく罰が悪くなって、キャリーバックを後ろ手に隠した。


「また、黙って逃げるのか?」
「ち、違います!ちゃんと置手紙は残してきました」
「置手紙って・・・オマエなあ。ガキの家出じゃあるまいしそんな物で済むと思っているのか?」
「思っていません。改めてのお詫びはちゃんと・・・」
「契約不履行で訴えてもいいんだぞ」
「なっ!?」
「当然だろう?ビジネスとして正式に契約をしているんだからな」
「そ、そんな事を言うなら、私だって訴えますよ?」
「何を?」
「婦女暴行?」
「はあ?俺がいつお前にそんな事をした?倒れそうになったのを支えただけで
むしろ暴行したのはお前の方だろうが」



優登は「結構効いたぜ?」と頬を擦った。



「だからここを出るんです」
「一言の謝罪もなしに、か?」
「ですから、それは置手紙に書いて・・・」
「じゃあ慰謝料を払ってもらおうか」
「はい?」


ふふん、と鼻先で笑った彼が、私を正面から見下ろす位置に立った。


「それと違約金として、そっちに払う報酬の2倍・・・いや、3倍を出してもらおう。
両方合わせて、そうだな…キリのいいところで200、ってところか。
ま、はした金だがこういうのはちゃんとしないとな」

「そんな~~」



まさか、こう来るとは思わなかった。予想外の展開に怯みながらも
はした金だというくせに、こういう所できっちりしてるのが
お金持ちのお金持ちたる所以だろうなあと場違いな感心をしてしまう。


「不服があるなら、交渉は弁護士としてくれ」
「ちょっと待って!代わりの人に明日着任してもらえば不履行にはならないでしょう?!」
「今日一日分はどうなる?」
「それは……その……オマケということには…」
「やっぱり不履行だな」

ふん、と鼻を鳴らして踵を返しかけた優登を私は慌てて呼び止めた。


「ちょっと待って下さい!」
「待てない」
「オニアクマ・・・」
「300に上げてもらいたい?ほーそれはそれは」
「なっ!そんな事誰も言ってないでしょう?!」


ああ、もう何でこうなるのか。
アナタにははした金でもウチのような小さな会社にとっては大金だ。
そう簡単に100万単位で金額を上げたりしないでほしい。
このまま帰ったりしたら、今度はウチのオニアクマにどんな仕打ちを受けるやら。



何とかしなくては。

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