平成のシンデレラ
へぇ、ご主人サマは「優登」というのか。
どこかで聞いたことがあるような無いような…と
白川さんの視線を辿って振り返ってみれば
そのワカゾーくんは、あろうことかドキッとするほどのハンサムで
年齢に似あわない艶と気品がある。
軽く、否、かなりヤバイ…かも。
「おかえりなさいませ」
「なんだ、白川。まだ居たのか?」
「いえ、只今失礼するところです。」
「そうか。今からだと…遅くなるな。気をつけて戻れよ」
「はい。お気遣い、痛み入ります」
自分よりもうんと年上の御仁にこの口の利き方はどうかと思う。
前言撤回して一喝してやりたいところだけれど
これは彼の育ちのなせる業。こういう環境で育ち
こういう環境で生きて行く彼の、一種の処世術なのかもしれない。
でも、ただ威張りたおしてるというわけでなく
使用人に対する気遣いが言葉の端々にも視線にも溢れている。
そしてその労わりの視線を受け止める老紳士もまた
若い主人への敬愛と信頼が全身からにじみ出ている。
その様子からしても このワカゾーくんは
お金に物を言わす傲慢でアホな成金のお坊ちゃまとは違うようだ。
「親父とお袋によろしく伝えてくれ」
「かしこまりました。何かありましたら、すぐに戻りますのでご連絡を」
「大丈夫だ。もう子供じゃない。心配するな」
「そう・・・でしたね。失礼いたしました」
いいんだ、と白川さんの肩を軽く叩きながら若い主は言葉を続けた。
「お前も休暇を楽しめよ?」
「ありがとうございます。坊ちゃまも」
「だから!もうその呼び方はやめろと言っただろう?」
「申し訳ございません。つい・・・」
と一礼した白川さんに彼が向けた
花が綻んだような微笑みに私の胸がどきんとはねる。
すさまじくハンサムだけど、笑うと意外と可愛いこの笑顔に感じた
曖昧な既視感を記憶の中に追う。
どこかで・・・
・・・どこだっただろう?
「という事で、こちらが本日より優登さまのお世話をいたします」
記憶を探ることに意識を集中させていた私は
白川さんに さぁと背を促されて我に返る。
「あ、綾瀬香子です。よろしくお願いいたします」
目の前のハンサムなご主人さまは
手にした身上書と私を交互に見比べて、32ね、と小さく鼻で笑った。
・・・悪かったわね、32で!
と、私が思わず睨んでしまったことに気づいてはいても
特に気にも留めない様子のご主人様は 身上書を白川さんに手渡した。
「いつものを部屋へ運んでくれ」
「かしこまりました」
絶妙のタイミングと腰から30度の角度の美しい会釈で
ご主人様に応えたのは隣に立つ白川さん。
この美しい所作には感嘆のため息が出る。
執事というよりも品の良い紳士のお手本みたいな人だから
これからは、こっそりムッシュと呼ぶことに決めよう。
そのムッシュ白川は30度の会釈をしたままで
歩み去る主人の背中を見送った後、「それでは、綾瀬さん」と
私へと向き直ると、柔和なお人柄そのままの笑顔で
「優登様のお部屋へお茶をお持ちしてください。後はよろしくお願いします」と
言い置いて重い扉の向こうへと消えていった。
『外出から戻られたら紅茶』
さっきの申し送りの一番最初に言われたことだ。
いつもの、とはこのことなんだ。覚えておこう。
よし、と小さくため息をついて腕の時計を見れば17時半を少し過ぎたところだった。
いけない!食事の支度にかからないと間に合わない。
『優登様は出来あいの食品やレトルト食品、冷凍食品などは
一切お召し上がりにはなりません』
またしてもムッシュ白川の声が脳裏を過ぎる。
厳選素材で一から手作り、か。こりゃ大変だ。急がなきゃ。
庭の作業用の薄緑のツナギを着替える為に
私はあてがわれた自分の部屋へ駆け込んだ。