流金の攫われ水に
後書
今晩は。みちゃすーと名乗っている者です。

ここ最近、支離滅裂で理解に苦しむ日本語を使い
起承転結すら正確に描かれていない奇妙な文章を組み、
自分の書いたこれこそが小説である、自分を褒め称えろなどと
のたまう若者が増えましたね。
幼い頃から本の虫を自負する手前にとっては非常に遺憾であります。

何をどのように伝えたいのか、それを叶える為
最も効果的な手法を得る研究すらせずに文章を組み立て、
そこで終わればいいものを
このような公の場にその醜態を晒し出すという…
当人は恥ずかしくないのでしょうか?

文章を書くにあたり必要な知識は、手前にも数多欠けている事と存じます。
が、本来の日本語の美しさを敬い慈しむこの姿勢だけは
人様にお見せしても恥ずかしくないものと存じてます。

本当に心に響く文章に、
装飾なぞ必要ありません。

顔文字や絵文字をくっつける事はもちろん、
どこかしこを小文字にしてみるなどという
意味不明な自己主張など、必要ないのです。

手前の知る限りの漢字でさえも読めないのであれば
そもそも土俵にあがるべきですらないと思います。
文字を知る事は、小説家として大前提であるべきです。
音楽家が音符の読み方も知らずに作曲する事と同じです。

漢字と平仮名と片仮名、意味の通る深い文章、
そして句読点さえあれば
本物の素晴らしい小説は成り立つものです。

本を書くのなら、本を嫌という程に読み込んでください。
現代小説にも、読みやすく内容も奥が深いものが沢山ありますよ。

手前はここでは、村上龍の「歌うクジラ」をお薦めしましょう。
長編の大作ですが読みきる事でまずは自信がつくでしょう。
そして読むごとに、日本語について新たな視点が開けてくる事と思います。
これは、携帯小説ではありません。
きちんと書籍を探して手にとり、そして頁を捲ってみてください。
まずは本を知りましょう。文章を知りましょう。

またいつか、ふと思いついた事柄を書き捨てに参ります。
ここまでお読み下さった皆々様へ感謝致します。
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