あいのことだま
玄関で物音がした。

急いで萌子が玄関に出ると、学生服姿の和也が片足立ちで靴を脱いでいた。


萌子は急ぐあまり一瞬、声が裏返る。

「ちょっ…と和也、さっき赤井留美さんのお母さんから電話あったんだけど。」

「えっ?」

和也は明らかに動揺していた。

「和也、あんた、ちょっとなにやってんの。赤井留美って子と…その…」

ここで萌子は口籠る。

和也はその隙に自分の部屋に入ろうとする。
萌子は和也の前に立ちふさがった。

「逃げたってだめだよ。ちゃんと話し合わなきゃ。」

「うん。」
和也は俯いた。


萌子は食卓の椅子に和也を座らせた。

「お父さんが帰ってきたら、あっちのうちにいくからね。」

和也は何も答えず、拗ねたようにそっぽを向いてる。

青白い童顔の和也は必死に平静を保とうとしているように見えた。


和也の髪が長過ぎるーと萌子は思った。

学生のくせに、こんなんだから、こんなことになるんだ。
子どものくせに…

「何しに行くの。」
和也が呟くように言う。

「….話し合いに行くの。」

話し合いって何するんだろう。

和也が一方的に悪いはずはない。

留美が誘ったのかもしれないではないか。
どちらにせよ、話し合いの結論はもう出ている。


「和也は知ってたんでしょ?女の子が妊娠したこと。」

和也はうなづいた。

「何でいわないの。」
「…」

しばらく沈黙が続いた。

「…ダメかな?」

「なにが?」

いきなり、和也が萌子を真っ直ぐ見て、言う。

「生んだらダメかな?」

萌子は仰天した。

「当たり前でしょう!
まだ高校生じゃないの!大学だって行きたいって言ってたじゃない。」

「うん…。」

夕飯は後回しだ。

萌子は、出していた麦茶のポットやマヨネーズを冷蔵庫に投げ入れるようにしまった。



「妊娠って…本当かよ。」

帰ってきた夫は玄関先で言葉を失った。

それでもいつも通り、風呂場に向かう。


夫・篤はいつも仕事から帰ると帰ってくると、真っ先にお風呂に入る。

彼は海産物を加工する工場に勤め、副工場長の肩書きを持つ。

体に魚臭いにおいが染み付いていて、お風呂に入ってもなんとなく匂った。

萌子も口には出さないけれど、この匂いには閉口していた。


篤は風呂から出ると言った。

「俺のスーツ、出しといて。」

「スーツ?」

「向こうの家に行くのに、ラフな格好じゃまずいだろ。
遊びにいくんじゃないんだから。」


夫の篤は、子どもたちを殆ど叱ったことがない。

それは彼の人との衝突を嫌う性格と、やはり継父だという遠慮があると萌子は思う。


萌子は篤と5年前、萌子が40歳の時に子連れ再婚した。

萌子の娘杏奈16歳、
息子和也は12歳だった。

篤は初婚で萌子より5歳年上だ。

篤は結婚もせず、体の弱い母親を若い時からずっと支えてきた。

その母親が亡くなり、一人になってすぐ、篤の勤め先に事務のパートで入ってきた萌子と知り合った。


「お袋が萌子を連れて来てくれたような気がするんだ。」

初めてのデートの時、篤はそう言った。


篤は和也には何も言わなかった。

準備の出来たところで、萌子は長女の杏奈にメールを打つ。

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